「第二章 バシリスクの回帰」タグアーカイブ

第90話 世界を救った能力者

さきを行く近衛さんは、周囲に気を配りながらもスイスイと進んでいった。

 きっとこんな場面には幾度となく遭遇してきたんだろう。

 救偉人であり優秀な能力者だから。

 いや、これが日常なのかもしれない。

 俺にとっての非日常がこの人達の……ち、違う、それは九久津も寄白さんも校長もだ。

 みんなこんな毎日を過ごしてきたんだ。

 転校前の俺だけが、普通の高校生だった。

 「いたぞ!!」

 近衛さんが、俺に向かって言った。

 語尾は強調されてたけど出会ったときと同じように、穏やかな口調だった。

 瞬間的に安心できた、俺に気軽に声をかけるくらいだから、九久津はそんな危険な状態にはなってないはず。

 それこそなにか選択するような緊迫した状態じゃない。

 俺は辺り構わずに走った、だが突然、黒い影が俺の視界を遮った。

 なっ、なんだ?!

 「あっ?!」

 無条件にその方向に手をかざしてた。

 すさまじい衝撃音がした。

 あの近衛さんが、目を見開き驚いてる。

 「なんて力だ……」

 俺は反射的に、衝撃派を放ってたらしい。

 その方角を見ると空の彼方に黒いエネルギー波が飛んでくのが見えた。

 俺が急に走りだしたから、その振動で壁が崩れたってことか。

 「い、いまのは俺が?」

 「それが鵺を瞬殺した力の一端だろう」

 「これが? ……無意識に放ってました」

 「いまのキミはⅡだからね。それを制御できるようになれば心強いな」

 近衛はさんは亜空間の欠片を手にとると、材質でも確かめるように、指先で欠片をさすってる。

 「これは崩れ落ちてきた亜空間内部の壁だ。本来なら亜空間は収縮して消えるのだが、あまりの高温で球状のまま固まったようだ。そう陶芸の焼き物のように。ゆえに亜空間が固形物として残ったんだろう」

 「なにがあったんですかね?」

 「さあね。まあ、九久津毬緒に聞けば、話は早い」

 九久津の顔には俺が遠くから見てもわかるような細かな傷があった。

 倒れている九久津におそるおそる近づく、頬に赤みあってまだ生きていることはわかった。

 ところどころ制服が破れたり、ほつれたりはしているが、命にかかわるような大きな傷はないと思う。

 当局から大勢の人がきて、規制線のようなテープを貼って行った、そして警察の現場検証のようなことをしてる。

 九久津は、そのまま国立六角病院に搬送された。

 そのあと、わりと早くにWebが更新されたみたいだけど、俺はサラっとしか見てない。

 ただ最終結果の掲載は、本当にバシリスクが死んだのかどうかを調べらてかららしい。

 早くて数日、遅くても一週間ほどを要するという関係者の話が聞こえた。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 Japan バシリスク 退治か(?)

 現在、日本当局が調査中。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 近衛さんが去り際に言った言葉が、俺のなかでグルグルと回ってる。

 いや、心のなかに突き刺さってた。

 ――アンゴルモアの大王。その討伐隊として最前線に行ったのが現、外務省の一条空間いちじょうくうまと、現、文科省の二条晴にじょうはれ

 そして討伐計画の発案者が現、六角第二高校校長の五味均一。

 その功績を讃えられて、一条と二条は救偉人の勲章が授与されている。

 もともと、日本発祥の終末ミームがアンゴルモアを誕生させたからね――

 ……いまがあるのは、その人達のおかげだ。

 なにかひとつでも、ズレていれば無かったかもしれない“現在いま”。

 この世界の救世主たち。

 俺は、それがどんな戦いだったのかを知らない……

第二章 END




第89話 救偉人の資質

――――――――――――

――――――

―――

 俺と近衛さんは静かになった亜空間に向かって歩いてる。

 周囲の変化や足元に注意しながら足を進めた。

 闇のなかに靴音だけが響く。

 俺は沈黙が嫌で話題を探した。

 「あの、さっきの“一条”さんって人は誰ですか?」

 「一条? ああ、彼は外務省の人間だよ」

 彼ってことは? 男か?

 ディメンション・シージャーは男か。

 「外務省ですか?」

 「そう。早く言えばワタシと同じ役人だ」

 そっか、近衛さんが“KK”のバッジをした国交省の人だもんな。

 一条って人は外務省の人か。

 近衛さんレベルの人は政府には多いんだろうな。

 国立病院に出向してる厚労省の医師って人も同等の強さな気がする。

 「あの~。その一条さんも救偉人ですか?」

 「ああそうだ。ただ、さっき言った厚労省の同期は救偉人を辞退してるがね」

 「じ、辞退なんてできるんですか?」

 辞退するってなんでそんな名誉なことを?

 医者で救偉人なら無敵じゃないか?

 「ああ。できるよ。救偉人ってのは対アヤカシに秀でた人間に勲章を授与するってだけの話だから」

 「そうなんですか?」

 「そう。だから能力を持たない救偉人だっているし。ほかに勲章の同時受賞なんかもある」

 「えっ?! 救偉人って特別な能力者の九人にだけ【臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前】の称号が与えられるんじゃ?」

 「まあそれは正しいと言えば正しい。基本的に救偉人は毎年春と秋に九人ずつ選出される。つまり一年で十八人だ。そうなると単純計算で年に十八人の救偉人が誕生することになる」

 「そ、そうなんですか? 国内に九人のみ存在してるんだと思ってました」

 「それじゃあ人口比率に対して救偉人があまりに少なすぎる。救偉人のバッジはそれなりの権力を与えられているんだ。多すぎても少なすぎてもいけない」

 「あっ、よく考えればそうですね」

 「ここ六角市ではいままで二人の救偉人を輩出している。それこそひとりは九久津毬緒の兄。九久津堂流」

 えっ、九久津の兄貴が……。

 そうだったんだ。

 「もうひとりは国立病院に勤務する只野ただの医師。彼は六角市出身の救偉人ではあるが能力者ではない。魔障に対する真摯な研究を認められて勲章を授与された」

 「へ~」

 なんか意外だ。

 強い能力者のみが優遇されるのかって思ってた、って俺って単純だな、バスの運転手さんとかを治療する人も重要だよな。

 あの魔障が治るなら、一般の協力者も心強いだろうし。

 強さだけを求めるって武道家の世界じゃないんだし、むしろアヤカシを倒せる強さよりも、大勢の人を救うのが医療のほうが求められてるのかもしれない。

 ……そうだよな、俺の目も魔障が原因だって言われて、すこしホッとしたし。

 原因不明の現象に怯えるより、治療でなんとかなるかもしれないって一言ひとことはスゴイ希望だ。

 “理由”がわかるってスゲーな。

 反対に理由がわからないってことほどの恐怖はない。

 「さあ、おしゃべりはここで終わりだ」

 近衛さんは姿勢を低くして、小刻みに視線を揺らしてさきを行く。

 「あっ、はい」

 物音ひとつしない亜空間に近づくにつれ、その大きさに驚かされた。

 こんなに大きな空間だったんだ。

 なにかの映画で見た大型怪獣の卵のようで、この静けさが逆に怖くなった。

 突然なにかが襲ってきそうな緊迫感がある。

 ただの瓦礫がれきにしては、比較的綺麗だと思った。

 至る所が蜘蛛の巣状にヒビ割れてて、崩れたセットに見える。

 大きな裂け目からなかに入ると、焦げ臭いニオイが充満してた、床にはくっきりとなにかが這いずった黒い跡もある。

 まるで蛇が蠢いてたかのような跡だ。

 きっとバシリスクが動いた経路みちだろう、人間でいうところの足跡。

 床は凸凹でこぼこだけど、乾ききってて、よほどの高温で熱せられたと推測できる。

 「ワタシだ。救護部隊と解析部隊を六角市守護山の麓に派遣してほしい。詳しい場所は、このスマホの位置情報で特定してくれ」

 近衛さんは、的確にそして端的にいま必要なこと告げた。




第88話 能力【ウェザーマドラー】

 

 だが、まったく意に介さない二条。

 「秘密。守秘義務があるから」

 大人の対応に徹する二条は、腕組みをした。

 「へ~」

 (だから役人は嫌なんだよ。……蛇の調査か?)

 「バシリスクのほうはどうなってんだよ?」

 「ご心配なく。ほかの救偉人が見張ってるから」

 「堂流くんでも倒せなかったのに?」

 「九久津堂流はそういう運命だった。まあ正直な話、有事の場合は当局が動くし升教育委員長もいるし」

 「教育委員長って強いのか?」

 「強いだろうね」

 「なんだ。知らないのか……」

 「ふっ」

 含み笑いをする二条、そのあとすぐに説教でもするかのような口調に変わった。

 まるで担任が生徒を注意するかのごとく。

 「技に“希力”を混ぜることで、アヤカシ側の苦痛や恐怖が軽減されると言われている。麻酔のように。でもそれにはっきりとした研究結果はでてない。だからあんたがいましたことは無駄なの。能力者自身が、ただ疲弊するだけ」

 「そうだとしても。私は構わない。」

 「あんたがそうでも、仲間に迷惑をかけるかもしれないってこと?」

 相変わらず気の強い娘、そしていつもながら危うい。

 二条は、そう気にかけた。

 「そうならないように私なりに慎重に動いてるつもりだ」

 寄白の語尾も強まる。

 「美子。“慎重”と“身勝手”は違うのよ? ここにひとりでいるってどういうこと? おおかたアヤカシの変化を察知して、独断行動したってことでしょ?」

 「先生が教えてくれたんだろ。気圧の変化とアヤカシの関係性を」

 「あんたが勝手にスキルを盗んだんでしょ? 教えてもいない技を使うから精度を欠くのよ」

 「担任が【気象攪拌者ウェザーマドラー】って当局屈指の能力者なんだから、学べるモノは学ばないと」

 「屁理屈を言わないで。人体模型、一体倒すのになんの罪を背負ってるの?」

 「先生には関係ねー」

 「しばらくしたら、四階ここにはまた負力が集まって新たな人体模型が動きだす。四階はアヤカシをおびき寄せるの罠なんだから」

 「百も承知だ。けどなつぎの人体模型はまた別の個性を持った別個体なんだよ」

 「だからそれがなんなの?」

 呆れ顔の二条。

 「あいつは廊下を走ってたかっただけなんだ」

 「それならあんたは校則違反をしたアヤカシを退治しただけってことでしょ?」

 「違う。そんな低知能が主催するデスゲームじゃねー!!」

 「美子。こんなことに心を痛めてたら、このさき持たないわよ?」

 「なんもわかってないくせに」

 (先生には理解できないだろうよ? 上級は具現した時点で周囲を攻撃するのが当たり前なんだから。けど日本の下級アヤカシは大人しい奴が多いんだよ)

 「困った娘ね」

 「うるさい」

 (……私がいらだつ理由……能力者としての同族嫌悪どうぞくけんお? 当局の奴は、どっかお役所仕事なんだよな。機械的に線を引く。堂流くんのことを運命の一言で片づけやがって)

 学校の外では、落雷のような轟音が鳴り響いている。

 それは六角市の北北西守護山方面から聞こえた。

 音はすぐに止んで、街はザワメキをすぐに取り戻したようだった。

 「美子。立てないじゃないの? ほんと世話の焼ける娘ね。ほら」

 二条は手を差しだす。

 スラっとした指先が寄白の幼げな手を掴んだ。

 「う、うるさ……い。く、くろ」

 (い……わ、藁人形……?)

 寄白は意識を失いかけ、前のめりに倒れ込んだ。

 「ちょっと美子。だから言ったでしょ。どれだけ希力を込めたのよ?」

 二条は園児を抱き起こすような態勢で寄白の体を支えた。

 「美子。大丈夫?」

 死者が消失して負力の受け皿もなくなった。イヤリングと髪との負力調整も必要。さらに希力まで消費してる。さすがに無茶しすぎよ?

 二条は寄白を放ってはおけなかった、過去になにがあったとしても教え子なのは変わらない。

 寄白に接する態度には、厳しさのなかにも優しさが含まれている。

 崩れ落ちる寄白の視線には、はっきりと黒い藁人形が見えた。

 ちょうど五百ミリのペットボトルほどの大きさで、不規則なボサボサの藁で編まれた人形だった。

 寄白は重力で頭が垂れていくと同時に、視界から藁人形を見失う。

 床につっぷすほどの低位置から、再起するように頭をもたげた。

 その場所には、まだ黒い藁人形が座していた。

 藁の一本一本からは、怨念が解き放たれるような瘴気が漂っている。

 丑の刻参りで五寸釘を打ち込まれる、あの体型フォルムをしていながら、右手と左手のない藁人形は足を組んで、椅子に腰かけているかのような佇まいで寄白たちを眺めていた。

 権威ある者が下を見下ろすような威圧感を放ちながら。

 {{ブリーズ}}

 微風そよかぜほどの小さな竜巻が廊下の壁を伝って藁人形に向かっていった。

 威力が弱いためか、その藁人形にとってはそれをかわすことは余裕だった。

 もちろん二条は藁人形の気配に気づいている。

 気づいたことさえ感じ取らせずにノーモーションから技を放ったのだった。

 「魔空間に逃げられた」

 当たり前か。校内じゃ大技は使えない。この街で同時多発的になにかが起こっている。一条の追ってる件と関係があるのかもしれない?

 二条はそんなふうに思いながらも、しっかりと寄白の体を支えていた。

 「せ、先生、あれは?」

 「気にしないで。あんたは寝てなさい」

 寄白は顔をしかめながらも、どことなく二条に体を預けた。




第87話 侵入者

 「照度しょうど変更。光度こうど変更。輝度きど変更」

 寄白はなおも対象者の方向に目を向けることはない。

 イヤリングはいつもよりも強く激しく目をくらますほど強い光を放った。

  {{全光束ルーメンシャイン}}

 直射日光のような光が周囲に瞬くと、網目状の閃光が人体模型の体を瞬時に通過した。

 それは動く網戸が人体模型を通り抜けたかのようにも見える。

 ――ガタガタンと段階的に人工物が倒れるような音がした。

 (つぎに生まれるなら人間に生まれてこい。己の存在に悩むなんて私たちの年代ししゅんきなら当たり前のことだ。けど、人間ならそんな簡単に自分の存在に絶望なんてしないんだよ)

 無表情で無機質な樹脂は這いつくばった態勢で廊下に横たわっていた。

 鼻涙管びるいかんも涙腺もない人体模型から涙が流れているようにみえたのは、きっと寄白と人体模型アヤカシとの言葉こころが通じてしまったからに他ならない。

 そして、またこの四階では新たな人体模型は生まれる。

 それが近衛を始め当局が四階を用意した意図だからだ。

 四階に集中させた負力をモノに宿らせて倒すという実に効率の良い方法を。

 (いままでだって何体ものアヤカシを倒してきたのに……この後味の悪さ。これが人が持つ倫理と道徳か……もっと正当な理由があれば楽だったのに。くそっ!!)

 「クッ」

 寄白は肩で息をしながら片膝をついた。

 全身の力がぬけて、腰から崩れ落ちると、廊下の壁に背を預けた。

 後頭部を壁につけたまま、顔を歪めて深く呼吸した。

 (体に力が入らない)

 寄白の規則的な胸の膨らみに合わせて、この四階に誰かの足音が響いた。

 「美子。前に言ったわよね? ソレ・・証拠・根拠エビデンスはないって」

 「誰だ……?」

 寄白はその声がした方向へ、ゆっくりと顔を向けた。

 寝違えた首に手を当てるような素振りを見せたが、とくに驚く様子もなく迫りくる人物を眺めている。

 「誰とは失礼ね?」

 「どうしてここに?」

 「私が本来三日後に派遣されるはずの救偉人だから。さきほどバシリスクが出現した」

 その人物は、五百円硬貨ほどの大きさで、サファイアのような五角形の勲章をとりだしてかざした。

 青く透明な勲章の中央には“臨”という刻印があった。

 右胸には“MK”というバッジがつけられている。

 「バシリスクが?」

 「ええ」

 答えながら、ここの通行手形のような勲章をふたたびしまった。

 「それでどうなった?」

 (“蛇”の奴。バシリスクをおとりにして、ブラックアウトさせた人体模型で内部から攻撃しようと考えたのか? 雛は無事なのか?)

 「現時点で詳しい状況はわからない」

 冷静な口調でそう言ったのは、二十代半ばから後半くらいで上下黒のツーピーススーツに白いYシャツの女性だった。

 一見して育ちの良さがわかる。

 キリリとした目に鼻筋の通った顔立ちで、薄い唇が聡明さを際立たせるような美人だ。

 すらっと背も高くスタイルもいい。

 「二条にじょう先生」

 寄白は、見知ったその人の名前を呼んだ。

 「ちなみにあんたが、お使いを頼んだ社雛は、いま校内にいる」

 「そっか」

 (まさか、あの気圧の乱れがバシリスクだったとは。先生ならこれくらいの判別はできるのか?)

 「救偉人はアヤカシ関連の施設の七割は無許可で侵入できる。六角第一高校ここもそう」

 「救偉人って、そんなに権力があったんだ?」

 「そうよ。まあある人にとってはただの飾りであり、ある人にとっては名誉の象徴でもある。この勲章のために金を撒き散らす人や、名誉欲にかられて罪を犯す人まで様々。私とっては仕事上のツールだけどね」

 「ふ~ん」

 寄白はまったく興味のなさそうな返事をした。

 それにはどことなくいさかいを感じさせるニュアスを含んでいる。

 「けど先生。その勲章って春と秋に九人ずつ貰えるんでしょ? 一年で十八人、十年なら百八十人、つまり日本には百八十人の救偉人がいるってことでしょ?」

 救偉人を見下すような言葉の寄白。

 「まあ単純計算ならそうね。ただ紛失、剥奪、辞退、二人同時授与なんかで増減はあるけど」

 二条は努めて冷静に答えた。

 「それで文科省の役人であり、【国営の能力者学校の教師】がどうしてここに?」

 寄白の嫌味を込めた言葉。




第86話 コギト・エルゴ・スム

――――――――――――

――――――

―――

 六角第一高校。

 社がちょうど校長室に入った頃、寄白は四階にいた。

 「……」

 人体模型はいつもの全力疾走とは違い、重い怪我でもしたかのように左足をひきずってトボトボと歩いてきた。

 ズルズルと足の甲が床とこすれる音がする。

 右膝に重心がかかり、樹脂の足の裏が廊下をペタッペタッと鳴らした。

 「誰になにを言われた?」

 寄白は淡々と問いかけた。

 今更、寄白の存在に気づいたかのように、人体模型はゆっくりと顔を上げた。

 「なにがでやんす……?」

 人体模型は、細い声で呟いた。

 右半身は壊死したように真っ黒く、強風に舞う砂埃のような禍々しい瘴気を漂わせている。

 「オマエとは“さだわらし”がくる前からの付き合いだよな?」

 「そうでやんすね?」

 磁石に引かれる砂鉄のような黒い気体がはっきりと目視できた。

 右半身は現在進行形ですすけて闇を深めていく。

 「お嬢……あっしは何者なんでしょうか?」

 もはや左半身と右半身で別生物のような人体模型。

 鼻を中心に左右に分かれた口元からは二重の声がする。

 右からは、やさしげな青年のような声、左からはノイズの混ざった濁り声。

 雑音のような濁り声はどこか物憂げだった。

 「オジョウ。教えてくだせえ?」

 二つの声が重なって混線したラジオのように聞こえる。

 寄白はギリっと奥歯を噛み、連動させるように握り拳に力を込めた。

 だが表情筋がすぐにゆるんで、悲しそうに人体模型を見つめた、それはなにかを決意させた凛々しい瞳だ。

 「オマエほど、四階ここで会った回数が多いアヤカシは初めてだ」

 「そうでやんすか?」

 「ああ」

 (アヤカシが自己の存在に疑問を持ち始めたら、それはもうブラックアウトの前触れ。なによりすでに闇に侵されてる。私はときに恐怖支配することで抑え込んできた、でも……あとはもう……倒すしかない……)

 「あっしはどうして人体模型なんでしょうか? できることなら人間に生まれたかったでやんす」

 「そんなことは誰にも説明できない」

 (自己喪失アイデンティティクライシスか……。くそっもうそこまで? 死者と同じやり口か?)

 「あっしは気づけば人体模型だったでやんす。自分で望んでこうなったわけじゃないでやんすよ?」

 「ああ。知ってるよ」

 「あっしを殺しますか。勝手ですやんすね?」

 「ああ。殺す」

 寄白は一瞬のためらいもなく即答した。

 固まった決意は揺るがない。

 「お嬢になんの権利があってあっしの存在を奪うでやんすか?」

 「オマエの言う通りだ。私にもわからない、この力は誰に与えられた生殺与奪けんりなのか?」

 (ルーツを遡れば辿り着くのかもしれない私の源流に……ただ、いまそんなことを考えても無意味だ)

 「家畜だって同じだと思うでやんすよ? ただ豚に生まれた。ただ鶏に生まれた。ただそれだけなのに食料として殺されるなんて……」

 「ああ、反論の余地もない」

 (くそ、くそっ!! 入れ知恵されやがって。答えのない問い。これほど厄介なものはない!!)

 寄白は地団駄を踏むように一度、強く床を蹴った。

 ――ズシッ。鈍い音が四階の重い空気をいっそう重くした。

 指先に鈍痛が走る。

 「逆に考えてくだせえ? あっしが人間を殺そうとしたらどうしやす?」

 「みなまで言うな」

 寄白は耳に手をかけ、そっと十字架のイヤリングを持った。

 十字架を振りかぶる仕草をみせたが、そのモーションにはためらいが現れている。

 人体模型の真理をついた質問に寄白の決意が揺らいだ。

 人体模型はそれほど大きな命題めいだいを提示した。

 寄白は何度となく“アヤカシ”を“殺して”きた。

 そこにはすべて、善(自分)対、悪(人を襲うアヤカシ)の構図ができあがっていたからだ。

 だが、この人体模型はどうだろうか。

 四階に出現した瞬間から、ただ声を上げて廊下を走りつづけていただけだ。

 この閉ざされた亜空間のなかで人間に危害を加えるわけでもなく、己がなんなのかも知らずに走っていた。

 寄白はある種の生殺与奪権を当局によって与えられている。

 それはアヤカシを“生かす”か“殺す”かの権利だ。

 ただ、自分に宿された、能力ちからは誰に与えられたものなのか、その“答え”を持ち合わせてはいない。

 わずか高校二年生の少女は、初めてアヤカシを殺すことに罪悪感を覚えた。

 この人体模型に自分がなにかされたのか? この人体模型は人を襲ったのか?

 いや、この人体模型に限っては過去に一度だって誰かに危害を与えたことはない。

 ただ、ブラックアウトすればまた話は変わってくる、無条件で他者を襲うことになる。

 ここで下す決断は、いまアヤカシ・・・・の人体模型を殺すことしか手段はないということだ。

 こと四階において寄白が過去に倒したアヤカシは、すべてブラックアウトする兆候を持つか、初期段階で人を襲うアヤカシだった。

 今回の人体模型がたまたま穏やかで愚直ぐちょくな“アヤカシ”だっただけ。

 それはアヤカシの性格を形作る“負力”の構成要素による。

 いま目の前の人体模型はただアヤカシらしからぬ性格の持ち主だっただけだ。

 現段階の七不思議で寄白によって存在の猶予を与えられているのは、わずか一体、《誰も居ない音楽室で鳴るピアノ》だけである。

 人体模型は最期を悟った。

 それは辞世の句とでもいうかのように言葉になって口をつく。

 「青い空の下で太陽を浴びて走りたかったでやんす」

 人体模型の瘴気はついに左半身をも浸潤しはじめた。

 アイスに群がる蟻のように黒い面積が増えていく、すでに体の半分以上は黒く覆われていた、そしてまた瘴気は人体模型を包んでいく。

 (オマエはずっと四階ここに居たんだ。青い空も太陽も見たことないだろう? 誰がそんな知識を。誰だ?! ……アヤカシ自身は誰かに知恵を与えられた認識もないだろうけどな。……もしかして、私が教えたオリンピックあれも余計な知識だったのか?)

 「私だって自分が何者なのかわからないさ。でもな、そんな悩みは明日また学校に行けば吹き飛んでくんだよ」

 「オジョウ……ひと思いに」

 寄白は人体模型に銃口を突きつけるように十字架を向けた。

 漆黒の十字架は不規則に瞬きはじめた。

 人体模型は、なにひとつ抵抗することはなかった。

 寄白は余命宣告する医師のように――わるい。とボソっと呟き、床に視線をずらした。

 アヤカシとの戦闘時相手から視線を外すことは自殺行為に等しいことだ、それでもあえて寄白は目を背けた、いや、そうせざる負えなかった。

 (なんでそんなに往生際が良いんだよ。もっと憎めよ。この隙に襲い掛かってこいよ。じゃないと、じゃないと、私はただの虐殺者じゃないか?!)




第85話 決断

「複雑なんですね。この世界は? もっと単純ならよかったかもしれないです……」

 「いやいや。多面体ためんたいだからこそ世界は成立しているんだよ。……ところでキミ。国立六角病院をお薦めしよう。あの病院には厚労省から出向している同期がいる」

 「えっ、あの~僕はそんなに“負力”溜め込んでますか?」

 ……やっぱり、六角市には国立六角病院が存在してるのか。

 当局の人が言うんだから間違いないな。

 けど、その建物は街のどこにあるんだ?

 「ん……? キミ気づいていないのか? その目だよ」

 「目、目ですか?」

 目って、なんだ?

 俺は目元に触れてみた。

 なんだよ?

 あっ、また……涙。

 指先が赤く染まってた。

 忌具保管庫のときの、あの血の涙だ。

 「これって重大な病気ですか?」

 「ワタシはそれに似た症状を過去に見たことがある。十中八九。魔障だ」

 近衛さんはなんの遠慮もなく俺に告げた。

 専門の医者だったら、患者の状況や状態等へ配慮してくれるはずだと思う。

 けど、それがまったくなかった。

 「ま、魔障?!……で……すか?」

 やっぱり、俺は忌具保管庫でなにかに……?

 なんだ? 壺か。パンドラの匣か。預言の書か。魔鏡か。

 それとも座敷童か?

 「ああ、私の素人診断だがほぼ間違いないだろう」

 「あの~その理由は?」

 「キミは、今の体がツヴァイだということを忘れてないかい?」

 「えっ、ああ、そっ、そっか、そうだった!!」

 俺はいつからかⅡじゃなく普通の“体”として過ごしてた。

 一応本体おれは校長室にいるんだ。

 いまは、完全分離してる感じがする、それこそ本当にこの世界に、俺が二人別々にいるようだ。

 「その場合は能力が累乗るいじょうになるだろ?」

 校長が言ってたっけ、自分を生みだすごとに二乗になるって。

 けど、それでなにがわかるんだ?

 「ええ。それがなにか?」

 「つまりその影響によって魔障の深度しんどが色濃く現れる。早い話が能力者が魔障の者を見ると、ある程度はその影響だと気づけるのさ。一般人でも酷いアザがあれば怪我だと判断できるだろ?」

 「なるほど」

 「ただ。ワタシでも診断できる魔障だ。軽傷だと思う。まあ、医師の診断ではないので絶対ではないけれど……」

 「わかりました」

  そっか、軽傷だから遠慮なく言ってくれたのか。

  「そろそろ亜空間のエネルギーを吸収し終える頃だ。まずは高次結界の半減期を待たずに元に戻す。あまりに強すぎる結果も自然界には悪影響だから」

  「はい」

  なににおいても“過剰”ってのはダメってことなんだな。

  だからこその“自然”なのかも。

  「ところで、あの柱はなんなんですか?」

  「あれは“ヤキン”と言ってソロモン神殿にあった材質を縮尺しゅくしゃくしたものだ」

  「ソロモンって、ソロモン王の?」

  「ああ」

  「普段は、あれを駅に隠しておいてたんですね?」

  忌具保管庫のパンドラの匣といい、ソロモン神殿とかって本当に存在してたんだ……神話のたぐいってのも、けっこう事実なんだな。

  「“ヤキン”を駅前のオブジェにした理由は主に二つある」

  「先ほども言ったが、“負力”を浄化させるため。もうひとつは、六角市になにかが起こった場合、柱を亜空間移動させるのに適した場所が六角駅だったから」

  「そこまで考えて……」

  なにからなにまで計算ずくだ。

  これも株式会社ヨリシロとの連携なのか?

  「この話は【Cランク】の情報だが」

 近衛さんは、能力者なら誰でも知ってて当然というニュアンスで言った。

  「そうなんですか?」

  「ああ。ただ当局内部の情報と、各地の能力者が知りえる情報には解離かいりがあるのかもしれない……」

  「じゃあ、情報管理を見直したほうがいんじゃないですか?」

  「忌憚きたんのない意見だ。上司に報告しておこう。我々もまだまだってことだな」

  「えっ、いや、なんだかんだ言っても近衛さんたちには助けられてます」

  「それでもワタシたちができることは微々たるものさ。今日の正午、駅前で飛び降りがあったらしい。人が抱える苦悩を抑えるにも限度がある」

  「それは近衛さんたちとは関係ないんじゃ?」

  「死にいざなわれるものは、必ず“負力”をび放つ。ゆえに希力(希望)によって救えるかもしれない人もいる。ただ、あの場にあっただけの“ヤキン”では止められなかったようだ。正しい使用方法によってのみ“ヤキン”は多くの人を救える。キミの言う通り。後の祭りだ」

  「そこまで気にしてたらなにもできないと思います」

  “ヤキン”によって、守護山のここ一帯は守られた。

  亜空間が爆発でもしてたら、もっと甚大な被害がでただろう。

  やっぱり、使う人と使いかた次第か……。

  ――ふっ。っと近衛さんは、感嘆かんたんするような笑みを見せた。

  いつも眉間にシワを寄せているような人間が、はにかむのは、よほどのことだと思う。

  俺なんか言ったっけ?

  「いい心構えだ。どこかで線を引くことは大事なことさ。“助ける”と“見捨てる”のボーダーラインをね」

  「えっ?」

  その言葉は、とてつもなく重くし掛かってきた。

  俺はいつか、大事な選択をしなきゃいけない気がする……。

  「ワタシは、これからあの亜空間に入るがキミはどうする?」

  「僕も行きます。連れて行ってください」

  「もう、バシリスクの瘴気はしない。これがなにを意味するかわかるか?」

  「単純に考えると、九久津がバシリスクを倒した」

  「そう。上級アヤカシを彼ひとりで倒した。どんな方法を使ったかはわからないがね」

  「あるいは、九久津自身ももしかしたら、もう……」

  「そうだ。その可能性も踏まえておくべき。このさきには、とても残酷な真実があるかもしれない。それを受け止める勇気はあるかい? ふたたび、その目から血の涙を流すことになるかもしれないが?」

  「それでも行きます」

  なにがあっても俺は行かないといけない。

  どんな結果が待っていても。

  そして九久津がどんなふうになっていようと……もしかしたら、いますぐそこに、俺が選択しなきゃいけないなに・・かがあるのかもしれない。




第84話 能力【ディメンション・シージャー】

――――――――――――

――――――

―――

 俺と近衛さんは、ただ九久津とバシリスクの行く末を見てるしかなかった。

 しばらくして戦局は動いた。

 海鳴りのような――ゴーッという不気味な音が守護山の麓に響き渡った。

 すると地面に埋まっていたはずの亜空間の天頂がすこしだけ顔をのぞかせた。

 火傷あとの水ぶくれのようにじょじょに膨らみが増していく。

 「なんだ?! 亜空間が膨張してきた……爆ぜる? 小さな爆発が起こるぞ……」

 近衛さんは眉間にシワを寄せ表情を崩した。

 この慌てようはヤバいかも。

 「マズい。あんなのがここで爆発したら……とても半減期まで……もた……ない。い、いや半減期なんて悠長なことは言ってられない」

 冷静だったはずの口調が早口に変わると、近衛さんは即座そくざに地面に手を置いた。

 よほどの力なのか、五本の指の形が地面にくっきりとついてる。

 「一条いちじょう、気づいてるんだろ。たのむ?! 空間を開いてくれ!!」

 近衛さんは空と地上のあいだ辺りに声を投げた。

 誰の名前だ?

 これからなにが起こるんだ?

 {{ヤキン}}

 近衛さんがそう言うと俺たちの足元は、割れたザクロのように裂けて、白い円柱の柱がゆっくりと姿を現してきた。

 暗闇ですり足をして歩くようにそっと柱は地上に迫りだしてくる。

 これはもしかして空間掌握者、【ディメンション・シージャー】と呼ばれる人の力か。

 近衛さんは、確か“一条”って呼んだよな?

 当局にいる一条って人が【ディメンション・シージャー】なのか?

 パルテノン神殿のような柱には、創作フォントのような文字で“J”という文字が書かれてる。

 あれ? これって俺がもたれかかって腰の痛みをぶり返した駅前の柱だ?!

 ってことは六角駅にもなにか仕掛けがあるのか……?

 まあ、六角市は近衛さんがデザインした街だ、街全体にいろんな仕掛けがあっても不思議じゃないか。

 けどこんな柱なんに使うんだ?

 「さすがは空間掌握者。よし。ヤキンこの高次結界をさらに増幅させろ」

 出現した白い柱は駒のようにゆっくりと右回転をはじめた、と同時に高次結界を巻き取るようにして回りつづける。

 高次結界を取り込んだ柱は、回転数を増すごとに、厚みを増した高次結界を吐きだしつづけた。

 柱の中心にモーターでもついてるかのように高速回転してる。

 次々と分厚い結界を生成し、薔薇の花弁が重なるように、九久津たちのいる亜空間を包んでった。

 高次結界はさらに光を帯び、水を吸収する綿のように膨張し、突出する亜空間を相殺する。

 「これでひとまず安心だ。亜空間の膨張エネルギーはすべて掻き消されるはずだ」

 近衛さんは、そっと立ち上がり息を吐いた。

 俺は肌で感じた、この重大な危機はなんとかなる、と。

 熱がでたときに二日目くらいで明日は学校に行けるって感覚に近い、てかこれ学生あるあるだな。

 「近衛さん。僕はあの柱を見たことがあります。六角駅の入り口にありました」

 「ああ、まさにその柱さ。駅とは良くも悪くも人の想いが交錯する場所。――仕事に行きたくない。――学校に行きたくない。――今日から旅行だ。――憧れのひとり暮らし。喜びの感情も苦しみの感情も雑多に集まるのが駅。だが人間社会というのは圧倒的に“負の感情”が多い世界。そんな“負”を少しでも浄化するために、私があの“柱”を駅の入り口に設置した」

 「……近衛さんたちって本当に色んなところに気を配ってるんですね?」

 元をただせば、アヤカシの原点も“負力”なんだよな。

 人の小さな不平不満が集まって、やがてバシリスクのような上級アヤカシになる。

 そういう“負力”が小さいときに浄化させることは、一番、正しい対処法なんだろうなって思う。

 「まあ、それがワタシたち当局の仕事だからね。ただ勘違いしないでほしいんだが“負力”ってのは必要悪ひつようあくなんだよ」

 「えっ? というのは?」

 「あまりに我慢しすぎて“負力”を溜め込むと体はむしばまれ心を病む。木々であれば実をつけずに朽ちる。花であれば枯れる。だから適度に負力を放つことも、また正しい行いなんだ」

 そ、そうだった?!

 “負力”は植物なんかからも放たれるんだった、生物、微生物を含むあらゆる生命体から。

 ときどき発散したほうがいいってことか。




第83話 不等号破綻~ブルーナイトメア~

 

九久津はそんなバシリスクを流し目で見ながら、体を回転させると、あぐらをかき座った。

 そのままの状態から片膝を立て自分の顎を乗せ、毒液のついた手のひらをまじまじと眺めている。

 「毒に侵されていく。兄さんの体はどんどん黒く浸食された」

 「それが我の毒だ……」

 瀕死のバシリスクは血だらけの口をねっとりと動かした。

 すこしの動くだけでも、バシリスクの口からは血飛沫が飛び、ゼーハーゼーハーと荒い呼吸音がする。

 九久津は目の前にいる串刺しのバシリスクと視線を合わせながらも、そのまま聞き流す。

 「それが病気じゃないと子供でも気づくのにな? いつしか俺は病的なまでに健康を気遣う哀れな子供になってた。……表向きはな」

 ドロドロの黒い血だまりのなかでギロリと九久津を睨んだバシリスク。

 海鳥が沈む重油ような血だまりは毒の比率が多く、みるみるうちに辺りを侵食した。

 「サプリを摂取たべれば食べるほど俺には耐性がつく。皮肉だろ? トラウマを背負ったカワイソウな弟をみんな憐れんだ」

 九久津はちょうど五芒星のエンブレムの真裏にある制服の内ポケットから、タブレットをとりだした、そのなかから黒いカプセルを一粒手にとり勢いよくかじった。

 口の端でブチっという音がすると、黒い液体が果汁のように飛び散った。

 それはいつもパウチに入れて持ち歩くあの健康食品のカプセルに類似している。

 「これにはオマエの毒を希釈きしゃくさせたモノが混ぜてある。朝起きてまずその日の体調を調べる。そして学校で、その日摂取する限界値を弾きだす。俺の体が耐えうる極限値を」

 バシリスクは嘔吐するようにふたたび毒液を吐きだした。

 それは吐きかけるという攻撃だったのだが、九久津に届くこともなく、途中でしおれて急落した、バシリスクにはもうすでにその距離まで毒を飛ばせる力もなかった。

 それを知ってか知らずか九久津は防御する素振りもみせない。

 「新月、オマエは最大限の力を発揮するんだろ。この程度か?」

 さきほどの小さな蜂はペットのように一直線に九久津へと寄ってきた。

 高速で羽をはばたかせているため、羽は残像で何枚にも見える。

 「遅効性ちこうせい。俺が蓄えた毒なら表皮ひょうひで充分。どうだ?」

 バシリスクが突然、卒倒したのは亜空間に入った瞬間赤蜂が毒針を刺していたからだった。

 バシリスクの分厚く硬い皮膚であっても、蚊に刺された程度の傷口で十分に毒は行き渡った。

 その毒がゆっくりと効き、さき程のタイミングで全身に毒が回ったのだった。

 九久津が手のひらをかかげると、その上に赤蜂が着陸するように止まり、そのまま煙のように消えた。

 召喚が解除された証だ。

 「オマエ自身の毒。ただし俺のなかで成分も濃度も飛躍的に向上させてるけどな? しかし毒と魔族は相性がいいんだな? 蓄積者にとっては迷惑な話だけどな。自我を喪失うしないそうになった」

 九久津は夢魔に体ごと乗っ取られそうになった、あの朝を思いだしていた。

 バシリスクは、懐古かいこしている九久津の隙をつき、窮鼠が猫を噛むともいうべき一撃を放った。

 尾の先を極限まで細く縮めて、反動でいっきに伸ばす。

 ボーガンのように鋭い尾のさきが九久津の脇腹を――ザスっと掠めた。

 だが九久津は腹の皮一枚でいなしていた。

 傷口からはうっすらと血が滲んでいる。

 やがてジワっと血が広がると、スーッと垂れてきた。

 本来ならこの毒を込めたバシリスクの一撃で相手は容易く絶命するのだが、いまの九久津にとっては、紙で切ったくらいのダメージにしかならなかった。

 「盲点だ。一ミリの隙間なく尻尾の最後尾までカマイタチで突き刺しておくんだった。まさかそれだけの尾の長さを伸縮させて攻撃してくるとは」

 九久津はおもむろに立ち上がる。

 体からは神々こうごうしい湯気のようなものが立ち昇っていた。

 その気体は神とも悪魔ともとれる形を形成した。

 暗い部屋で照明を当てたように、自分の体積より遙かに大きい影だ。

 いまのいままで抑止していた、九久津の極限の憤怒が解き放たれたようにも見える。

 「見縊みくびるな。……なるほど。そういうことか? あの兄弟の……」

 その様相ようそうを見た、バシリスクはなにかを思いだした。

 「それで日本このくにに、引き寄せられたというわけか……」

 バシリスクは血と毒で糸引く口を動かした。

 「最後通牒さいごつうちょうだ。ただしオマエに選択肢はない。これは俺の一方的な答えだ。“もうオマエは俺には勝てない”。机上の空論は実証して初めて証明される」

 九久津は右手を自分の顔の高さに掲げた。

 「オマエでも夢を見ることがあるなら、その脳裏に焼き付けてやる。俺が見続けてきた“青い悪夢”を」

 {{サラマンダー}}

 九久津の右腕から青い焔がメラメラと螺旋状に立ち昇った。

 肘あたりから、急速旋回し亜空間の天井まで広がる。

 (青褪めた夜だったあの日も。青い空を眺めながら病院に向かった……それだけが記憶に残ってる)

 「そして悪夢を宿したまま燃やしてやる」

 九久津が召喚した炎は九久津の心を投影したように荒れ狂い火災旋風となった。

 想像以上の焔は、竜巻でいう改良フジタスケールEF3のランクに匹敵するほどだ。

 バシリスクどころか、自分も含め亜空間ごと一瞬で火葬かそうしてしまうような焔が意志のある生物のようにうごめいている。

  「あわれな傀儡くぐつよ? いずれそのとがに喰われるがいい?」

 力なく腹部で呼吸するバシリスクの同音異義語は発音のみで九久津には届かなかった。

 だが、“くぐつ”という音の響きが九久津の心を逆なでる。

 「黙れ!! 二度とその名字なまえを呼ぶな!!」

 (なに?! 焔が制御できない。マズい、誰だ? 俺の体を……くそっ!!)

 九久津は、そのまま自分の右手を押さえつけるようにして火炎旋風を亜空間の中心に放った。

 自身の安全も顧みずに燃え盛る焔は、カーテンに燃え移った火のようにあっという間に広がる。

 {{{{ソドム}}}}

 (なっ?!)

 亜空間は水爆実験のような地響きとともに、煙と焔に包まれた。




第82話 不倶戴天(ふぐたいてん)

「どうした? 教えてやろうか? やまびこは俺の意のまま超音波を乱反射させてるんだよ。オマエの硬い皮膚を利用させてもらった。つまりオマエはもう俺の正確な位置を把握できない」

 九久津はダイダラボッチとぬりかべで現実と亜空間の境界線を固めたうえに、さらにもうひとつ、やまびこというアヤカシで先手を打っていた。

 バシリスクは体を翻すと周囲の空気を大きく吸い込んで、自分の腹をアドバルーンほど大きさに膨らませた。

 バシリスクは膨満感を利用して火山噴火のように毒液を亜空間いっぱいにまき散らす。

 喉の奥底からドパっと微細な黒い毒液が四方八方放射状に飛び散った。

 九久津は飛沫ひまつする毒液を頭からかぶる。

 髪の毛やまつ毛にも毒液が付着するが、まるで目にゴミ入った程度に擦ってやりすごした。

 本来ならば亜空間をも溶かすほど猛毒なのだが九久津は平常心で髪をかき上げる。

 黒い毒はヘアワックスのように伸びて、すこしだけ髪型に変化が見てとれただけだった。

 九久津は鋭い目つきでバシリスクをにらむ。

 突然、バシリスクの巨体は倒木するように真横にバタンと倒れると、重力により仰臥ぎょうがした。

 それはまるで、夏の終わりのセミのようだった。

 硬直したままのバシリスクは体の重心がずれて横向きになった、その周囲を一体の赤い蜂が、カチカチという警戒音を発して飛んでいる。

 スズメバチといえばわかりやすい、そんな体型フォルムをしたアヤカシは火の玉のようにホバリングしながら――ブブブブブブと高音の羽音を響かせていた。

 「どうした? アナフィラキーショックでも起こしたか?」

 九久津は、その光景を揶揄やゆするように冷笑れいしょうを浮かべた。

 十年前からずっと待っていた、現実がいま目の前にあるからだ。

 「弱いな。これが世界中で恐れられた蛇の王か?」

 九久津は指についた毒をペロっと一舐めする。

 血を吸い終えた吸血鬼ように唇の真横は毒にまみれていた。

 黒い口紅を引いたかのように怪し気な風貌ふうぼうの九久津は颯爽さっそうと手を掲げた。

 {{遠隔召喚}}≒{{カマイタチ}}

 「兄さんが最初に教えてくれた召喚技がカマイタチだった」

 九久津の右手に槍投げの槍のように、細く縦長の空気の塊が出現した。

 その状態で塊は浮遊している。

 九久津が手を振り下ろすと、空気の槍は――ズサッ!!っとバシリスクの腹のど真ん中を貫通した。

 槍の先端は地面にまで及んでいる。

 バシリスクは――グアッっと喚き声をあげた。

 九久津は無感情なまま、じわりじわりとバシリスクの顔に歩みよった。

 {{階層召喚}}≒{{ゴーレム}}/{{シルフ}}

 膝から脛にかけて硬化した右足を後方に振り上げ、そのままサッカーのシュートのように牙を蹴り上げた。

 蛇の王の象徴でもあった牙はいとも容易たやす破折はせつし、亜空間の端まで飛んでいった。

 貴重な象牙ぞうげのようにただ横たわる牙の断面は、きれいなままで九久津の蹴りの正確さが窺える。

 もうバシリスクの牙は虫歯治療の残存歯とも言えるようなほどしか残ってはいない、残った牙からは毒がプツプツ滲みでていた。

 さすがのバシリスクも反射的に――グァァァァァァァ!!とうめく。

 九久津は亜空間に響き渡る叫びを聞いても攻撃の手を緩めることなく、もう一度素早く右足を振りぬいた。

 右足から小さな竜巻が出現して高速回転するスクリューのような風の刃が、バシリスクの開けっ放しの口腔内を縦横無尽に旋回してズタズタに切り裂いた。

 薄ピンク色の口内に大小さまざまな無数の傷が見て取れる。

 バシリスクはふたたび――グァァァァァァァ!!と叫び、粘膜、唾液それに血と毒をい交ぜに垂れ流した。

 九久津が“天賦の才”と言われる所以ゆえんは、この召喚憑依能力をアレンジするクリエイティビリティにあった。

 ゴーレムで硬化した足で牙を砕き、あらかじめ下の階層に召喚憑依させておいた風の刃で口腔内にダメージを与える。

 九久津は大型クリーチャーを倒すための教科書的な戦闘方法をシュミレートしていた。

 「オマエごときに、兄さんがやられるわけがないんだよ?」

 九久津はジタバタしているバシリスクの頭部をおもいっきっり蹴り上げた、バスケットボールような感触が爪先を伝う。

 バシリスクの口からは噴水のように大量の血と毒が飛び散る。

 九久津は構わず、凌辱りょうじょくするかのようにバシリスクの額に足を乗せた。

 バシリスクがかすかでも身をよじると足裏にゴロっという振動が直に伝わってくる。

 苛立つ九久津はバシリスクに背を向けると、ポツリポツリと歩きはじめた。

 一定の距離感を保った場所で突然狂乱したようにカマイタチを連続で召喚しつづける。

 {{連続召喚}}≒{{カマイタチ}}/{{カマイタチ}}/{{カマイタチ}}/{{カマイタチ}}

 /{{カマイタチ}}/{{カマイタチ}}/{{カマイタチ}}/{{カマイタチ}}

 無数の風の槍は四方八方からバシリスクのからだを規則性なくランダムにつぎからつぎへと串刺しにした。

 すこしの時間差で風は容赦なくバシリスクを貫いていく。

 バシリスクはさながら横たわった弁慶のようだ。

  はりつけにされたバシリスクは血と毒を激しく噴射すると、周囲は黒い液体で浸潤されていった。

 ――グァァァァァァァァァァ!! 断末魔と慚愧ざんきの咆哮が響きわたる。




第81話 蛇の王―バシリスク―

――――――――――――

――――――

―――

  {{混成召喚}}≒{{ダイダラボッチ}}+{{ぬりかべ}}+{{やまびこ}}

 {{遠隔混成召喚}}≒{{煙羅煙羅えんらえんら}}/{{つるべ火}}

 {{遠隔単体召喚}}≒{{赤蜂あかはち}}

 「オマエがむさぼり喰い荒らした町や村は数知れない」

 黒褐色こっかしょくうろこ冠状かんむりじょうのトサカ。

 バシリスクは二又の赤い舌先をチロチロとだして、遥か上方から九久津を見下ろしていた。

 数メートルはあろう、その図体ずうたいをうねらせながらガラスのような角膜と縦長の瞳孔は九久津を獲物として捕捉している。

 バシリスクのからだからは、おどろどろしい瘴気が放たれ、亜空間に充満していた。

 九久津はバシリスクの鋭い眼光を恐れることもなく対峙している。

 その構図は九久津とバシリスクの因縁そのものだった。

 バシリスクは口腔の奥底から――コホーと酸素ボンベのような息を吐いた。

 邪悪ながらも上級アヤカシと形容するにふさわしい荘厳さを放つ、背反二律の存在、まさに蛇の王の佇まいといったところだ。

 九久津は立ち竦むこともなく一歩近づいた。

 バシリスクが瞬時に大口を開ければ、すぐさま丸飲みできる距離だ。

 「升教育委員長が空を見てオマエを発見したと聞いて確信した。オマエの能力は冷血動物特有のピット器官と反響定位エコロケーションの併せ技だ」

 バシリスクは余裕の素振りで、ただ体を右に左にと揺れるようにくねらせた。

 体を動かすたびにズズズと地面から地響きがする。

 地を這う重低音を立てながら、九久津をグルリと一周して取り囲んだ。

 大きな螺旋のなかにポツンと九久津がいる、じょじょに間合いは詰められていった。

 バシリスクは舌なめずりしながら、じっとりと粘りつくような視線で九久津を見つめる。

 上下左右小刻みに動く舌先は、いまにも九久津に襲いかかりそうだった。

 「数百キロさきからでもピンポイントでターゲットを襲撃できるのは、超音波をクリッターに照射させて物色できるからだ。クリッターがときどきみせる発光現象はオマエの超音波を跳ね返す目印。オマエなら地球の真裏の獲物を見つけることは容易かんたんだろ? 超音波の最終到達点がオマエの出現地点になるのは明白だ」

 バシリスクの血も通わないようにヒンヤリと冷たく分厚い皮膚がビクビクと脈打った。

 つるぎでさえ突き通せないほど、硬いの鱗の斑点模様がキラリと反射する。

 バシリスクが口を開くと、一メートルはあろうかという氷柱のような牙から、真っ黒な毒液がしたたり落ちた。

 着地の瞬間にジュっという肉を焼くような音がして、焦げ臭い白い煙がくゆる。

 すぐさま亜空間の床は溶けて、長年放置したビニールテープのようにネバネバと浸食されていった。

 地面がブクブクと泡立つと同時にドロドロの液体が、腐食を押し進めてくぼみを形成した。

 亜空間の底は雪解け道のように、凸凹でこぼこでぐちゃぐちゃになった。

 「驚いたな? ダイダラボッチとぬりかべでコーディングした亜空間を融解させるとは。まあ、それだけの毒性ってことか?」

 九久津は眉をひそめた。

 細く整った眉は凛々しささえ感じる。

 バシリスクはふたたびピクリっと顔を動かしギロリと目で威嚇した。

 粘るような視線は九久津に絡みつくようだ。

 自然界の動物で、時折見受けられる決闘手段のように、さらに大きく口を開き両牙を見せつけるバシリスク。

 だが九久津はすこしも怯まず対抗して、纏わりつくような視線を返した。

 目を逸らせば先制攻撃される、そんな拮抗状態がしばらくつづいた。

 九久津はバシリスクの皮膚にある斑点模様へと目を向ける。

 「どうした? こいよ?」

 九久津は不敵な笑みを浮かべた。

 「体温ピットで生物かどうかの判断をくだして、瞬時につぎを先読みする。それがオマエの攻撃パターンだろ?」

 バシリスクは洞窟を通る風音かざおとのような吐息をもらしたあと、いったん体をグワンとのけ反らせ、その反動で九久津をいっきに丸飲みした。

 カプという異音につづき、なにかをすするような音を残して九久津の体は、この亜空間から消えた。

 さきに仕掛けたのはバシリスクだった、九久津を飲み込みヌラヌラと巨体くねらせている。

 段階的に嚥下えんげを繰り返し、己の腹の底に押し込んでいるようだ。

 亜空間のなかで、蛇の王はただ食事をしたにすぎない。

 「けど未来が見えるわけじゃないよな。一秒先に俺がどうするかなんてわからないだろ? オマエがエコロケーションでわかるのは周囲の状況のみ」

 バシリスクはその声がどこからしたのかわからずに周囲をギョロギョロと見回した、だがまだ九久津の声はつづく。

 「対象物がつぎにどんな行動を起こすかまではわからない。違うか?」

 バシリスクは可動域ギリギリまで首を動かして自分の腹を眺めた。

 「ヌシ。どこから話しかけておる?」

 バシリスクは初めて、しゃがれ声の人語を話した。

 「後ろだ」

 バシリスクの真後ろから九久津の声がした。

 「オマエが食ったのは煙だ」

 亜空間に入ってすぐ、九久津は何体かのアヤカシを召喚していた。

 ダイダラボッチとぬりかべは現実と亜空間の境界線を固めるため。

 これはバシリスクをふたたび外界へと逃さないための措置そちだった。

 ただしそれはすなわち九久津自身の退路を断つことでもある、けれど九久津は、この亜空間のなかで確実にバシリスクを仕留める揺るぎない自信があった。

 煙羅煙羅えんらえんらは九久津のダミーを形成し、つるべ火は生物としての体温をカモフラージュするためだ。

 さらに九久津はすこしの仕掛けをしていた。

 おとりの体温を自分の平熱より、〇・五度ほど上げておくこと、バシリスクは高温の獲物から襲撃する習性を九久津に利用されたのだった。

 いまや主導権は九久津にある。

 意表を突かれたバシリスクはつぎの行動に移せずにいた。

 躊躇いながらも首をグルリと百八十度回転させる。

 バシリスクの目下で九久津は飄々ひょうひょうとした顔つきで立っていた。

 さらにバシリスクを混乱させたのは、九久津えものの位置だった、いま目の前にいる九久津を超音波で捕らえることができなかったからだ。