第73話 気づかい

二年B組の教室前には、目の周囲を薄っすらと腫らした校長がいた。

「あっ、おはようございます」

  校長もやっぱり眠れなかったんだな。

 校長は左手を胸元に置き、右手はドアに手をかける手前で止まってた。

 俺は、教室に入る寸前で声をかけたっぽい。

 「さ、沙田くん、おはよう」

 校長はビクっと一度、肩をすくめて真顔を取り繕った。

 どこか自分を落ち着かせるような素振りだ。

 「美子、なにその古い髪飾り?」

 校長は些細な寄白さんの変化に気づくと、話題を変えるように適格なツッコミを入れた。

 「友達にもらったんだよ」

 寄白さんは、フーセンガムをじょじょに膨らませるように頬を膨らませた。

 「美子にそんな友達いた?」

 「し、し、しーちゃんだよ」

 「へ~まだ付き合いがあったんだ?」

 「お姉こそ、毎日、毎日、寒いギャグでスベってるくせに?」

 「そ、それは、ダジャレ好きな佐伯校長の影響よ。韻を踏んでくるのよ」

 (妹よ。イタイところをついてくるわね?)

 なんだかんだ仲いいんだよな、このふたりは。

 ファションダサめの不思議っ娘と、アイテムセンスはいいがギャグが寒い姉妹。

 本質は似てるのかも。

 ツンツンと不思議っ娘の狭間でバグっていた寄白さんが正気を取り戻したので、俺は寄白さんを引き連れて、ふたたび教室に戻った。

 九久津は頬杖をついたまま、周囲の音がまるで聞こえないかように窓の外を眺めてた。

 九久津の周囲だけ、時間が流れてないようだ。

 校長は九久津を気にかけてなのか、ただ教室をのぞきにだけきたらしく、窓枠からためらいがちに九久津を眺め、どこか落ち込んだ様子のまま、また校長室へと帰ってった。

 そりゃあ、気になるよな、当然、バシリスクのことは昨夜の時点で、九久津家にも連絡が行ってて、九久津も間違いなくその話を耳にしてるだろうから。

 あれっ? 九久津のやつ、今日は、朝の公式を解いてない、まあ、そんな気にもなれないか。

 でも九久津って、いつも冷静沈着なんだけどな……さすがに心ここにあらずか。

 ノートには燃え尽きたように、わずか三つの単語だけが書かれてた。

 罫線に沿って横並びの文字は九久津らしいと言えば九久津らしい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  新月 lim  Q.E.D

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 教室にもうひとりいる生徒、佐野。

 フルネームは佐野和紗さのかずさ

 教室に生徒が増えてきても、まったく興味を示さないほど、スマホの画面を凝視してた。

 ソワソワしながら、画面のなかに念を送るように握りしめてる。

 それはなにかを祈っているようにも見えた。

 佐野の態勢は前屈みで、まるでなにかの祈祷でもしてるようだったから。

 窓を眺めていた九久津は、ゆっくりと俺のほうへと振り返った。

 「沙田、一度目を診てもらえば?」

  あっ、昨日のこと気にしてくれてたんだ。

 「いや~あれを診てもらうっても、さすがに……どこに行っていいのか……」

 「国立六角病院」

 「……ん?」

 あれっ? 六角市に市立六角病院はあるけど、国立の病院なんてないぞ。

 「市立じゃなくて?」

 「それは……教室に人も増えてきたからあとで教えるよ。それともチャットアプリにするか?」

 あっ、その話も聞かれたらマズいか。

 さすが九久津、配慮が行き届いてるな。

 「いや、あとででいいよ。あれからなにもおこってないし」

 「そっか、わかった」

 制服の肘辺りが数回、引っ張られるのを感じた。

 よくテレビで見る、迷子の子供が服をツンツンするあの感覚だ。

 「……?」

 「九久津さんは優しくてよ?」

 寄白さんは、親指と人差し指でちょこんと制服の肘をつかんでた。

 そして俺を見上げ、イヤリングを揺らしながらニコっと微笑んだ。

 「えっ、ああ。知ってるよ」

 今日の天真爛漫さは九久津への心遣いか?

 寄白さんなりに、重い空気を変えようとしたのかもしれない。

 そして、クラスメイトたちも揃って、一時間目の授業が始まった。

 「さあ公民の教科書開いて。今日は日本の死刑制度について――」

――――――――――――

――――――

―――




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください