第57話 献身者

九久津はなんだか納得いかなそうな顔で、ふたたびノートに向かってる。

 俺の飲みこみの良さがひっかかるらしい。

 そんな簡単に理解できるのか? ってことなんだろうけど、なぜかスーッと入ってきた。

 上手く表現できないけど、ピアノを弾ける人がもし生まれ変わったなら、案外、簡単にピアノを弾けるんじゃないかってそんな感じがする。

 車内の客もだいぶ減ってきたな、俺らの周りにはもう人はいない。

 この席から、なん人かの後頭部が見えるくらいで、残りは十人をきってるはずだ。

 始発の六角駅から比べるとスゲー減ったな。

 資料を読みこんでいたら、だいぶ時間が経過ってた、街はずれを走ってることに今更ながら気づく。

 郊外でも相変わらずソーラーパネルが多い。

 『――総理が緊急入院したため、急遽、鷹司たかつかさ官房長官が会見をおこなう模様です』

 運転席のうしろの防護柵。

 その天井付近に備え付けられた二十二型テレビ。

 ニュースキャスターが低音で滑舌よく、はっきりと原稿を読み上げた。

 眉ひとつ動かさないで、平常をつくろってるようにも見える。

 心のなかで――またか? なんて思ってるのかもしれない。

 なぜなら数人しかいない乗客からも、不満がもれているからだ。

 俺は、自分の席ですこし腰を浮かせた、おっ、腰の痛みが完全に治ってる。

 中腰のまま体をすこし捻じって、窓ガラスに背中をべったりと、つけてテレビを観た。

 「総理また入院?」

 「そうみたいね」

 「何回目かしら?」

 「もう、三回目くらいじゃない」

 俺にはよくわからないが、国内で大きな問題が起こると、この紳士的な鷹司官房長官という人がマスコミ相手に答弁を繰り返している。

 皮肉なことに、この人のほうが総理より好感度が高いという逆転現象も起こってる。

 なんとなく頼りがいがあるんだよな~。

 ――俺がどれだけ一生懸命に働いてきたと思ってんだ。チッ。

 テレビに向かって舌を鳴らして悪態をつく、ひとりの男性客がいた。

 運転席のすぐ後ろに座ってる。

 見た目は六十歳代で真っ黒な日焼け顔が印象的だ。

 そして肌よりも、もっと濃淡の濃い、頬にある大きな黒子ホクロが目立ってた。

 【黒杉工業くろすぎこうぎょう】という刺繍の入った作業着を着てる。

 なにを言っているのか聞き取れないがモゴモゴと口ごもり、ときに頬を引きつらせてブツブツとなにかを呟いてた。

 チッ。っという舌打ちだけはさらに強まった。

 ――いままでどれだけ我慢して。と語気を荒げ唇を噛んだ。

 拳で貧乏ゆすりをして、グーの形でベロア座席を周期的に揺らしてる。

 手を揺らすたびに、テレビを固定した防護柵からステンレス製の金属音がカシャンカシャンと鳴った。

 天井付近から吊るされている、テレビの固定具の右端がグラっと揺れる。

 ヒートアップした、その男は一度だけ強く座席を叩いた。

 座席付近にベロアの繊維と埃が舞う。

 差し込む太陽光に照らされて、スノーグラスのように粒子状のゴミが宙を漂ってた。

 俺は、いてきた車内で、その人を観察するように眺めてた。

 こんな公の場所で感情的になるなんて、よっぽどテレビの内容が気に入らないんだな。

 いまも、テレビから与党だとか野党だとか言ってるけど、ぜんぜんわかんねーや。

 周囲の視線に気づいたのか、その男はすこし眉をひそめて、顔を窓へと背けた。

 ――チッ!

 けど、最後にもう一度だけ、大きな舌打ちが聞こえた。

 テレビを固定している金具のネジが緩んで、外れそうになっていることに気づいた女の人が、そっと身を乗りだして運転手さんにこっそりと告げに行った。

 その状況はすぐに伝わったようで、つぎの停留場で運転手さんは座席の下のほうから工具箱を取りだして床に置いた。

 両開きの鉄製の箱から、プラスドライバーを手にして防護柵へ歩み寄る。

 白い手袋をとって、ネジを右へ右へときつく締めた。

 運転手さんの、手のひらから手の甲にかけて、黒いあざが見えた。

 新聞を読んだあとよりももっと黒くて、クレヨンで描かれた絵をこすったような痣が手、全体に広がってた。

 数式を解いていた九久津の手がピタっと止まる。

 微動だにしないペン先が罫線の上で沈黙してた。

 どうした、突然?

 あの黒子の男が、バスの空気を悪くさせたときだって、黙々とノートに向かってたのに。

 「あんなに……」

 九久津が呟いた。

 「えっ?」

 俺は九久津がなに・・に対してそう言ってるのかわからなかった。

 だが九久津の視線を追うと、プラスドライバーを手にした運転手さんを眺めていることに気づく。

 「あの手だよ」

 「手……? ああ。火傷やけどの痣とかじゃないのか?」

 「違うよ」

 九久津はきっぱりと否定した。

 まるであれが、なんなのかを知ってるように。

 痣を見つめる九久津の目は、まるで父親の職場見学をする子供のようだった。

 「……?」

 「バス問わずに六角市のルーティーンを巡る運転手のほとんどは、市内に結界を張る役目を担ってるんだよ」

 「えっ?! ……いまなんて?」

 「だから日常的に街に結界を張ってるんだよ」

 「け、結界……?」

 「そう。あの痣は結界を張る上でどうしても負ってしまう魔障。瘴気と結界がぶつかり合ってできる傷。特に郊外ルートは交通の便が悪くて、ひとりの運転手に対する魔障の影響は大きい。まあ魔障に対しては救護部隊が、日々、治療方法を研究してるけど」

 俺は覚えてる。

 初めてバス通学したあの朝。

 運転手はまっさらな白い手袋をはめてハンドルを握ってた。

 滑り止めと清潔にみせるためだと、聞いたことがあったけど、それに加えて市民のために、もっと・・・大事・・なこと・・・をしてくれてた。

 「そんな……俺たちの知らないところで」

 「ああ、そうさ。六角市民のなかには、街のため自分を犠牲にしてる人がたくさんいるんだよ。たち・・だけじゃなくね?」

 俺が、いや若者が知らないところで、大人が守ってくれてたんだ。

 アヤカシの脅威をすこしでも防ぐため。

 今度は俺が、その立場になるんだ。

 俺は、また座った。

 九久津はノートをひじ掛けのところに立てかけると通学バッグを広げる。

 ガサゴソとバッグを模索して二つ折りの長財布を取りだした。

 財布のなかは、札の向きからカードまで几帳面に整理整頓されてる。

 九久津はよくあるポイントカード入れから、一枚の薄っぺらなカードをサッと手に取った。

 「これ」

 俺が受け取ったのは、カードサイズのバス時刻表だった。

 小さな面積にビッシリと、さまざまな数字と「:」の記号が並んでる。

 「……ん?」

 九久津は、そのままカードの右下をつつくように指さした。

 グラデーションで彩られた、スタイリッシュなロゴと社名が書かれてる。

 『株式会社六角バス ヨリシログループ』

 「あっ、このバス会社も寄白さんの会社と関係あったのか?」

 「そう」

 バス会社って市営じゃないのか~?

 ある意味、ヨリシロという会社は六形市を守るための組織のようだ、しかも効率良く。

 アヤカシから街を守護する仕組みを創った救世主が、株式会社ヨリシロってことか。

 そこで俺にはある疑問が湧き上がった。

 もう周りに客もいない、これなら小声で話しても問題ないよな。




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