第222話 虚構

 ――タンタンタンタン。

 誰かの足音が聞こえてきた、規則的なリズムがどんどん近づいてくる。

 でも、それはどこか軽い音だ、まるで小さい子供のような。

 現実的に考えてもこんな時間、この四階に子供なんているわけがない、座敷童でもない限り。

 ――タンタンタンタン。

 全体重をかけて廊下を踏んでも、こんなにスッカスカの音しかしない。

 座敷童ならもっとペタペタと足を鳴らして歩いてた。

 この音はなんつーか、密度が小さい、そんな感じだ。

 骨がスカスカというか内臓の重さが大雑把というか、軽量化された身体の音。

 あいつ……。

 バシリスクが現れた日に消えた人体模型とは、別固体の人体模型が様子をうかがうようにして走ってきた。

 走ってきたというより、体を揺らした早歩きだ。

 さすがにモナリザとの戦闘中は廊下を走ってこれないか?

 へたすると自分が戦闘の巻き添えになるしな。

 戦いが終わるのを見計らってたんだ。

 違うな、俺たちが廊下にでてくるまで待ってた。

 俺たちがふつうに廊下を歩いてれば、それはおのずと戦闘終了の合図になるから。

 この人体模型は、人間のように空気を読む力があるみたいだ。

 気づけば鳴り響いてるピアノの音も、鳥の鳴き声くらいにしか気にならなくなってる。

 早い話がBGMが辺りに馴染むように、ピアノの低音に慣れてしまってた。

 「お疲れ様です」

 人体模型は俺らひとりひとりに頭を下げて、通りすぎてく。

 この軽い足音は当然、人体模型の素材によるものだ。

 多くの人体模型はだいたい二十から三十キロくらいが多いと、理科の授業で習った。

 ただ、四階の人体模型はもっと軽量化したものを使ってる。

 それはなぜか、授業で使用するような精密な物は必要ないからだ。

 四階ではただ負力の入れ物でいい。

 なにかあれば能力者によって退治される運命にもある。

 校長がいつか言ってた、学校の備品ってのは驚くほどに高いと。

 黒板が約十万円、教卓は約四万円、教壇は約十万円、バレーボールの支柱、約十五万円、サッカーの約ゴール、四十万円。

 そして人体模型も数十万が相場。

 最高級の人体模型になると百万オーバーだ。

 そう、そこに経費はかけられないってことになる。

 ただでさえ、今日のような異常事態で美術室を修理しなきゃならないこともあるし。

 四階の修理は無償じゃない。

 

 エネミーは人体模型に敬礼した、人体模型もクルっと振り返って敬礼する。

 よくわからんが人体模型とエネミーがシンクロした。

 

 「お疲れアル」

 「お気遣いありがとうございます」

 ――お気遣いありがとうございます。か……。

 言葉遣いが。

 「なあ、おまえ。一週間くらい前にここで誰かの姿を見な……いや、わるい」

 寄白さんは立ち止まった人体模型にそう言いかけてから、つぎの言葉を飲み込んだ。

 「頑張れよ」

 「はい。ありがとうざいます」

 あいつは前の人体模型じゃない。

 あの日、藁人形と同一空間にいたのは、確かに人体模型だけど人体模型じゃないんだ。

 こいつになにか訊いたところで無意味だ。

 バシリスクが出現したあの日に、まだこいつは、この世界にはいなかったんだから。

 

 「では失礼いたします」

 ほら、話かただってまるで違う。

 あいつは江戸弁で話してた。

 人体模型は寄白さんにも敬礼して、ふたたび小走りで廊下を進んでった。

 ――ごめん。

 寄白さんが人体模型の背に向かって消え入るような声をかけた。

 なにに謝ったのか言葉だけじゃわからなかった。

 

 人体模型がブラックアウトした日に仕掛けられた罠が今日発動した。

 模型からだは同じだけど、まったく違う人体模型がぐんぐん廊下を進んでく。

 そしてあいつは四階の端に辿りつくとまた引き返してくる、それを朝方になるまでずっと繰り返す。

 生徒が登校してこない日以外はいつもいつも。

 生徒がいない日は学校の七不思議という世界が発動しないために、四階は静かなままだ。

 四階はそういう摂理せつりで成り立ってる。

 学校の七不思議と言われる都市伝説の世界に生きるあいつは、それがすべてだ。

 なんの疑問もなく呼吸するように廊下を走りつづける。

【七不思議その一 走る人体模型】は、そのために存在しつづける。

 四階に強制的に造りだされた都市伝説の世界はある意味偽物の世界、虚構の世界……。

 地球にある世界は本物・・の世界なのか?

 四階の虚構を何億倍、何兆倍に拡張すれば、それは世界げんじつになったりするんじゃないか。

 ……この人体模型・・・・・・とはなんの接点もないのに、なぜか蛇に踊らされてる気持ち悪さを感じた。

 踊ってるのは俺ら全員だ、それも蛇が用意した世界で。

 蛇が踊り子を眺める動機はなんだ?

 怨恨、異性間トラブル、金銭目的、やっぱり快楽目的で動いてるってのがしっくりくる。

 人が苦しむことに快感を覚えるタイプ、一番、掴みどころのないやつ。

 「思想も大義名分もなく人を傷つけるやつが、一番、面倒だな」

 かすかだけど、また九久津から、ふだん抑えてるような苛立ちが見えた気がした。

 シリアルキラー気質の蛇……俺たちも細心の注意を払っていかないと。

 人体模型の背中はどんどん小さくなっていった。