第194話 いつものような、また明日。 

 戸村は言いたいことを言い終えると、テーブルの上でおもむろに転がっている、フォークとナイフを手にとった。

 手元のナプキンで刃先をなんどか拭くと、パンケーキの皿を手前に引いた。

 銀色の先端が茶色の膨らみに沈んでいく、戸村はすこしベトついたシロップを絡めて口へと運んだ。

 「うん。冷めても美味しい」

 「戸村さん、どうしてあんな?」

 繰はその疑問をそのままぶつけた。

 なにもあんな遠回りにしなくても、そのまま話をしてくれたら自分だってすんなり話を聞くのにそんな思いがあった。

 「ナイフで脅すような、ことを? ですか?」

 「はい」

 「早く話を進めたかったらと、繰さんの記憶に残したかったからです」

 「私が聞き入れないとでも?」

 「いいえ。繰さんなら私の話を受け入れてくれたとは思います、ですがそれにも時間がかかってしまう。思ってるより事態は深刻です」

 「だからですか?」

 「突拍子もない話をするなら突拍子もない行動をしないと。これを心理学では正常性バイアスと呼びます」

 「正常性バイアス?」

 「人は予期せぬ事態で行動ができなくなってしまうことがあるんです。たとえば有事のときなど周囲の事態を過小評価してしまうんです。じっさいこれによって逃げ遅れてしまうかたも多くいますし。現実のなかに現れた非日常をすぐには受けとめられないんです」

 「あっ、アヤカシが出現した現場に行っても驚くでもなくキョトンとしてる人が

いました」

 「そうです。そんな感じです。私があんな行動をしなくても話は聞いてもらえたとは思います、ですが、いまは”ナイフを突きつけられてまで聞かされた話”そんなふうに心に残ったんじゃないですか?」

 「言われてみればそうですね」

 繰は同意しながら、過去にあった非日常の場面を思い返した。

 「アヤカシを前にしても悲鳴上げて大騒ぎする人って案外すくないんですよね。多くの人は疑問符を浮かべてるんです、この状況はいったいなんなのかって」

 「なんとなく異変っていうのは前触れがあってから起こる。みたいな思い込みがありますからね」

 戸村はパンケーキをさらに細かく切った。

 「はあ、でも戸村さん、そこまで急ぐようなことなんですか?」

 「そこなんですけど、私も確証がないのですみません。ただこの大きくて小さな世界・・・・・・・・・・でなに者かが暗躍してる気がするんです」

 「えっ?!」

 (そ、それって私が思う蛇。戸村さんもなにかの気配に気づきはじめてる。ここで私とヤヌが話した蛇の話をすれば、やつの存在を証明する後押しになるかも……)

 「あの」

 繰はそう口を開く。

(私、アンゴルモアの説明で沙田くんに言ったのに――こんなふうに自分の知らないところで戦っている人がいるってこと。いま、この時間だって誰かが担保たんぽしてくれた、すこしの余暇よかなのかもしれない――。私自身が一週間で頭の片隅に追いやってしまった、いいえ、いま、こんなお店にいるから……なんとなくこんふうに食事してれば、その最中にはなにも起こらないと思い込んでる。神様なら楽しい時間は邪魔せずに見逃してくれるんじゃないかって……)

 「はい、なんですか?」

 戸村は繰の呼びかけに耳を傾けた。

 「あっ、私も戸村さんに似た感覚があるんです」

 「どんな感覚ですか? これはあくまで私の勘なんですけど、でも急がなきゃいけないそんな焦りがあります。繰さんなら理解してくれると思った、ってそれも直感ですけど」

 「最終的には勘に頼るってのもわからなくもないです」

 「よかった。わかってもらえて。明日もまたパンケーキ食べたいな~。あっ、でもダイエットしなきゃ。せめて一週間後かな~」

 戸村はすこしだけはしゃぎながら、またパンケーキを一口頬張った。

 さっきまでとは別の状況のようで、迫りくる緊迫感がまた日常に溶けていった。

 繰は蛇についての話をしようとしたところで腰を折られた形になった。

 (そう、そうよ。こんな日常が突然終わるなんでどうしても実感がない。戸村さんも常にあんなピリついてるわけじゃないのね。ってあんな感じで毎日過ごしてたら体も心も持たないか……)

 「でもね一週間後に世界があるなんて保証はどこにもないんですよ」

 (と思ったけど違う、この人は常に日常と危機感を備えてる)

 「一週間後なら世界はありますよ絶対。一万年後ならわからないですけど」

 (まさか一週間後に世界が滅亡なんて、なおさら考えられない)

 「う~ん。それは人それぞれの感覚ですよね。二週間後にも世界はあるけど九千年後には世界はないっていうのに近いですよね?」

 「そう、そう、そういう感覚です」

 (どう考えても、一週間や二週間で世界がなくなるなんて思えない)

 「きっと、そこに当てはまる数字なんてどうでもいいんですよ。近日中には世界が消滅くなることはないけど、遠い未来に世界はもう消滅いだろうってことですよね」

 「ああ!! それっ!! まさにそれです。戸村さんの考えは違うんですか?」

 「テーブルの上の飲み物に手を伸ばす、その数十秒後に家がない。そんなこともあるんですよ」

 「なにかで被災されたことがあるんですか?」

 「子供のころにね。ほんの数十秒でぶっつりと現実が遮断された。そんなことが……。私の世界が崩壊していった。だからいまのを選んだのかもしれません」

 (戸村さんもなにかを抱えてるんだ)

 繰はこの流れで、ヤヌダークと話した蛇の内容を自分なりにまとめて、戸村に知りうる限りの情報を伝えた。

 上手く伝えられなくてもいい、そんな思いを抱えながら。

 蛇の存在をできるだけ多くの当局関係者に知ってもらう、それが大事なのだから。

 ただ戸村に関しては当局関係者とはすこし距離のある人物という認識だけれど。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください