第190話 不意打ち

――すみません、寄白校長。日中は失礼な態度で。あのFAXを送ったのは部下なもので。

 とはいえ、いまの私にはなんの権限もないのですが。

 元六角第一高校の校長・・・・・・・・・・、四仮家が繰に電話をしてきたのはちょうど放課後に当たる時間だった。

 四仮家は現在、総務省の参与さんよという組織図に載らない非常勤ポストにある。

 国立病院の九条がその行方を探している人物でもあり、一条が金銭問題で探りを入れようとしている人物でもある。

 繰はどこか戸惑いげに六角駅を歩いている。

 沙田たちがいる、スイーツパーラーに合流するためだ。

 (……四仮家先生が総務省の態度が悪かったって謝ってくれたから、まだいいとしてもモヤモヤする)

 晴れない気持ちのままで、駅前の柱になにかを探るように手を当てた。

 手のひらにザラザラとした感触を感じながら思いを馳せる。

 (この柱がね~。ソロモン王のヤキン……)

 「あの失礼ですけど、寄白繰さんでしょうか?」

 繰は誰かに自分の名前を呼ばれると、サッと手を引っ込めた。

 無言で柱をさすってるところを見られた、そんな思いがあった。

 「はい。そうですけど、どちら様でしょうか?」

 繰が振り返ったさきには、端正な顔つきの小柄な女性が繰を見つめていた。

 その佇まいは若く見えるけれど、どこか頼り甲斐のある風格を醸している。

 「呼び止めてしまって申し訳ありません。私は国立病院で看護師をしています戸村伊織と申します」

 戸村は膝の前に手を当てて礼をした。

 低姿勢な体を起こしてから、ふたたび、首より上で頭を下げた。

 「えっ、ああ、国立病院の看護師さん」

 とふいに口をついた言葉、そのままのぞくように顔を確認して

 ――ですか?

 と繫げた。

 「はい。正真正銘の看護師です」

  戸村はそう言ったあとに繰の耳元に近づき――魔障専門の。

 と周囲を配慮するように小声でつぶやいた。

 「あっ、専門の。ですか。はじめまして。あの私になにか?」

 繰はまだどこか構えている。

 たったいま挨拶を交わした程度の見知らぬ女性、それも無理はない。

 「お時間よろしければ、お話しでもいかでしょうか?」

 「えっ?」

 繰はまた逡巡する、それは沙田たちのいる場所に着くのが遅くなるからではなかった、この戸村伊織という女性がなぜ、自分を呼び止めて話をしたがっているかということにあった。

 身分を偽ってなにかの勧誘やセールスをするのであれば”国立病院”の名前などだすはずはない。

 なぜなら国立病院は魔障を扱う医療機関であり、一般の人間にはあまり縁のない場所だからだ。

 それこそ、そこの看護師である者が自分を呼び止める理由に心当たりなどなかった。

 九久津のことが頭を過らなかったわけではない、ただし九久津になにかあって、その情報が自分のもとにくるまでは随分と遠回りしてくるだろう。

 ほかの人間を飛ばして、自分が真っ先になにかの情報を知ることは皆無だと思った。

 九久津の容体についてならば、九久津の両親が第一選択肢になるはずだ。

 つぎに思ったのは沙田のことだ【啓示する涙クリストファー・ラルム】が本当はべつの魔障だった場合、あるいは想定よりも重い病状だった場合、そうだったとしてもこれもまた自分が一番さきに知る情報ではない。

 自分が紹介したゆえの責任もあるが、その場合はまず国立病院側で沙田の保護者代理の選定からはじめるだろう。

 一般の疾病とは異なり魔障の場合は親の管理下で治療が難しいからだ。

 ただし両親が魔障への有識者であればこの限りではない。

 それに沙田の日中の状態からすれば、そんなに重症な魔障ではないと推測もできた。

 血の涙を流す魔障を目薬で抑え込んでいるからだ。

 重症の場合なら、升をはじめとした教育委員会で話し合いが持たれた上で自分も同等の立場で、その後の行く末を決めることになろうだろう。

 今朝、升と電話を交わした時点で、その件についてなにも触れてない以上、やはりこの説も否定できた。

 三つ目は昨日、病み憑きを発症したワンシーズンのメンバーについてだ、これについてもこんな道で声をかけて知らせる要件でもないだろうと思った。

 さらに自分を連絡をしてくるにしてもそれは看護師ではなく、診断を下すことのできる医師本人からだろう。

 繰は考え一巡させて、三つの状況を完全否定した上で、いまのこの状況に悪い予感も良い予感も覚えなかった。

 株式会社ヨリシロの社長であり、六角第一高校の校長を兼務する自分に国立病院の看護師がこんな場所で声をかけたのだ、絶対に実のある話があるに違いない、繰は戸村伊織の話にのった。

 そして繰はその賭けに負けた、いま二人の目下にはパンケーキが置かれている。

 「ここのパンケーキ食べてみたかったんです。すみません。しかもこんな個室まで用意していただいて」

 戸村はフォークとナイフを手にしながらそう言った。

 いま運ばれてきたばかりのパンケーキからはほのかに湯気が立っている。

 上にはハチミツとホイップクリームとバターが乗っていて、固形だったバターがドロリと溶けると、パンケーキの端を滝のように流れ落ちた。

 「いいえ。ここはうちの系列店ですので」

 (本当にパンケーキが食べたかっただけ……なのか……な? 私を使えばすぐに入店できるから……とか?)

 繰はいま株式会社ヨリシロの系列の飲食店に戸村と二人、個室にいる。

 それは繰の意志でこの場所を用意した、注文してから、同世代の二人はしばらく、どこのなにが美味しいというスイーツの話題で時間を潰した、いわゆる表向きの会話だ、そしてようやくオーダーのパンケーキが運ばれてきたのだった。

 戸村は第一刀でパンケーキを中央から二つに切った、つぎにナイフの角度を九十度に傾けてて十字に切る、その裂け目にそれぞれハチミツとバターそれにクリームの塊が落下していった。

 「うわ~美味しそう」

 戸村は小分けにされたパンケーキの上でナイフを拭くように表面になすりつけた。

 「そうですよね。戸村さん写メとか……」

 「私は魔障の処置に当たる看護師ですよ」

 戸村はそう言ったあとに、目だけで繰のつぎの言葉を遮っていた。

 ただ戸村の言葉には変なトゲのニュアンスは含まれてはいない。

 またナイフをパンケーキの表面に当てて刃先を擦る、それはナイフについたシロップを落としているようにも見えた。

 「ごめんなさい」

 繰もその意図を汲んで謝ったとき、戸村の笑みとともビュンという音が空を裂いた。

 その笑みは許しの合図ではなかった。

 戸村の目は凛々しく、ただ目の前にいる対象者を映している。

 いまさっきまでパンケーキを切っていたナイフのさきが繰の首筋わずか数ミリの場所にある。

 そこから軽く手前に手を引くだけで首筋には大きな裂傷が作られるだろう。

 戸村は手首の角度をゆっくりと変えた、斜めになった刃先がちょうど垂直に皮膚へと進入する角度だ。

 看護師らしく的確な動脈の位置でナイフがキラリと光っている。

 養護教諭でもある繰はそれが首元にある動脈の位置だと理解していた。

 「……?!」




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