第170話 上級アヤカシの出現率

「お手を煩わせてしまい申し訳ありません」

 ボナパルテがうやうやしく、升に歩み寄って一礼した。

 升は、まるで日向で日光浴でもしているよに穏やかに髭をさすりながら――うむ。とうなずいた、つい数秒前まで空気をピンと張り詰めさせていた殺気はもう、どこにもなく、ただの好々爺こうこうやがいるだけだった。

 「いやいや」

 しわだらけの手をゆったりと振って、たいしたことはないと合図した。

 それはいま成し遂げたことに対して、あまりに反比例な仕草だ。

 「獅身女あいつはエジプトのスフィンクス像、まあよく言うギザの大スフィンクスのことなのですが……あれを僕……いえ、前世のが鼻を壊したという由来うわさを因縁に思ってたみたいで……まさか日本ここまで追ってくるとは、あっ、あとの計算は僕がします」

 「任せるよ。くれぐれも政治摩擦を起こさぬようにしておくれ」

 「はい。そのために獅身女あいつの退治を、升さんに引き受けてもらったのですから」

 (獅身女の出現周期は二十年から三十年に一度。六十年に二度か三度。ではここ六十年で二度の出現ということで調整できるな)

 「今日を始点に三十年のあいだに獅身女が出現すれば、出現率の変化はありません。どこの国でも獅身女の出現頻度を怪しむことはないですね。まあ、出現周期がプラスマイナス十年というのもザラですけど……」

 「けどボナパルテくん。事態はもっと……」

 鷹揚おうような升がふたたび眉間にシワを寄せて言葉を止めた、ボナパルテはチラリと目をやりその表情から会話を読み取った。

 ある一定の思考回路と経験値を持ったゆえに通じ合える能力者の意思疎通だ。

 これはあくまでその人の雰囲気やニュアンスから感じ取るもので、オープンアビリティでも能力を発動したわけでもない。

 「ええ。おそらくつぎの獅身女は、ここ十年以内に出現するでしょう」

 ボナパルテはそこで言葉を区切ってからかぶりを振ると、己に問いかけた、と同時に升に訴えかける。

 「いいえ、十年かからず」

 ボナパルテは意味ありげに、また数秒沈黙する。

 ――でしょうね。

 「じゃのう」

 升もうなずき同意したまま、ふたたび虚空へと目をやった。

 闇夜に光の明滅をまた捕らえる。

 「鵺もバシリスクもミドガルズオルムも、ヨルムンガンドも……ここ十年でまた現れるでしょう。それに過去十年で他国の能力者たちが退治してきた上級アヤカシ。ワイバーン、ガルーダ、ベヒーモス、ケルベロス、オルトロス、キマイラなども。彼等にもう出現率なんていう統計上の出現予測は当てはまらないのかもしれません」

 ボナパルテがいまサラリと言った言葉は、この世界のほころびをまるまる写していた。

 「上級の出現率の上昇。これすなわち」

 「各国の見解も一致していますが、負力の爆発的な増加にともなって鋳型に流れる供給量が増えたことが原因です。それが上級の出現率にそのまま当てはまります。西暦1999年前後アラウンドミレニアムに起こった世界規模の三大災害魔障。アンゴルモアの大王が発露した『ノストラダムスの大預言』。グリモワールが開封された『サバト』。ジーランディア大陸での生命体の大量失踪と大量殺戮『ハーメルン・ジェノサイド』。それらすべても負力増加が原因だと考えられています」

 「アンゴルモア討伐は国連の意を酌み一条くん、二条くん、五味校長で事態を収めた。グリモワールはアメリカの対アヤカシ組織のタスクフォースが対処にあたった。ジーランディアは……もとから治外法権ちがいほうけんじゃしのぅ……ジーランディアなかでなにがあったのかは……」

 「ジーランディア大陸は歴史の暗部そのものですからね。だから世界のゴミ箱なんです。ただ『ノストラダムスの大預言』と『ハーメルン・ジェノサイド』はほぼ同じ場所で起こってますし。それと……これは未確認のAランク情報とされているのですがアメリカ全土で『サバト』を起こしたのもジーランディア内部の者だとか……」

 ボナパルテが、一度言葉を区切ると、下唇を噛む。

 舌ですこし唇を潤してから、ふたたび話をはじめた。

「そもそもグルモワールは最上級の魔術書ですので、レベルファイブを越えた忌具になります。北アメリカ大陸と南アメリカ大陸を繫いだアメリカ大陸で『サバト』を起こしたのは、いまだ悪魔信仰や悪魔崇拝も残る文化圏だからでしょう、それによって大病魔障たいびょうましょうである悪魔憑あくまつきの患者も増大したわけですし」

 「じゃろうな。日本で『サバト』を起こしても、悪魔による物理的なダメージは与えられるが、魔障としての”悪魔憑き”はほぼ皆無じゃろう」

 「文化が違いますからね。日本では動物霊が憑くという古く伝わる風習・伝承フォークロアが一般的なんですよね?」

 「そうじゃな。逆を言えば、西洋で狐憑きは皆無に等しいということじゃよ」

 そこで升の話のリズムが緩やかに一変した。

 「ところでボナパルテくん?」

 疑問符でボナパルテを名指しする。

 「ヨルムンガンド・・・・・・・はいつ退治されたんじゃ?」

 「えっ……と」

 (しまった。升さんの前で気が緩んだか。ヨルムンガンド退治は曖昧なままで、世界への公式発表がなされてないんだった)

 ボナパルテは、十年前に起こったゴビ砂漠でバシリスクとミドガルズオルムとヨルムンガンドの三体が出現したことを告げた、さらにそこに九久津堂流が関わっていたこともつけ足した。

 そのあともヤヌダークから報告を受けた”ヤヌダークと繰との電話でのやりとり”も交えつつ、自分が知る限りのすべての経緯いきさつを升に包み隠さずに話した、そして最後にフランス当局の見解を示す。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください