第168話 なぞなぞ

 

升は消えるようにフワっと、ボナパルテから踵を返した。

 草履と地面との摩擦音を殺し淡々と歩く。

 夜道にいっさいの音はない、張りつめた夜気だけがその行く末を見守っている。

 ボナパルテはその後ろ姿を眺めていると奇妙な感覚に陥った、それは現実の空間でも、ましてや魔空間でも亜空間でもない得体の知れない場所にいるような錯覚だ。

 地球ではないどこかと呼んでも差し支えない変質した空間。

 この星が誕生したときもこんなふうに世界が創られたのではないかという光景を見ている。

 自分が地球の上に立ち、その下で物事が進んで行くそんな出来事。

 (これが現実でありながら外界と隔離された空間。アウトサイドフィールドか……

ミッシングリンカーのタイプCとタイプGは全員、特異点とくいてんだからな。そういう始点はじまりの者たちはこの現世せかいの因果から離脱することができる。俺たちのようにすべての因果と繋がった者とは違う……)

 「朝は四本、昼は二本、夜は三本、これな~んだ?」

 獅身女は大きな体をうねらせるとその反動で、升の鼻さきに触れる直前まで顔面を近づけた。

 白鬚が綿毛のように後方へとなびく。

 ムアっと大きく口を開けた獅身女は升の頭から足まで全身を一口に噛みついた。

 だが獅身女は上唇と下唇を密着させられずにいた、アゴに力を込めても込めても、升の皮膚はおろか髪の毛にすら到達しなかった。

 升はいまだその場で――うむ。と熟考じゅっこうしている。

 そのままのかっこうで獅身女に目を向けることもしない。

 焦燥しょうそうの感情を抱いたのは升ではなく獅身女のほうだった。

 「困ったのう。そのなぞなぞは……」

 獅身女は升をんだまま、ひずめをを振り上げた。

 足の裏にはいままで踏み潰してきた人の血や脂の跡がある、その上塗りにでもするかのように振子の原理で、口のなかの升の体を叩きつけた。

 獅身女の腕はまるでゴムの板に物を投げつけたようにボワンと反発した。

 「……?」

 升の周囲には、自身を守護するように、なにかが体を包んでいる。

 いっそう焦りの色を濃くした獅身女は逆の手でふたたび升を薙ぎ払う。

 升はなおを考える素振りのままで、口腔内に目を向けることもなく、その攻撃を柳の木のようにヒラっとさばいた。

 獅身女は猫のように両手で升の体を連打する、だがすべての攻撃は手刀で払われていった。

 「思案中の不意打ちを卑怯とは思わんのか? 上級の質も落ちたもんじゃのぅ」

 升は、なぞなぞの答えなど考えてはいなかった。

 いな。世界で量産される負力が変質したということじゃろうな。

 より陰険なほうに。……ゆえに人間そのものの変化と呼んでいい。

 「……グゥ」

 獅身女はその忠告を無視したまま、口のなかから升を――ぺっ。っと吐きだした。

 そして態勢を立て直し、ふたたび同じなぞなぞをだす。

 「朝は四本、昼は二本、夜は三本、これな~んだ?」

 升は体の位置が移動したことも気に留めずゆっくりと空の奥を見た。

 いままで、目の前は獅身女の唾液と粘膜に覆われた口腔内が映っていた。

 だがいま、拓けた視界の果て、漆黒の夜空になにかの光を捕らえた。

 ……明滅が早まっておるのぅ。そう思いながら眼光鋭い眼で獅身女を睨みつける。

 獅身女は後ろ髪を引かれるように一瞬、のけ反った。

 「朝は四本、昼は二本、夜は三本、これな~んだ?」

 獅身女は升に答えを急かした。

 「おぬし、その問答もんどうは邪道じゃろうて。先天的、後天的なやまいも事故もある。それは不可抗力によってじゃ」

 「朝は四本、昼は二本、夜は三本はな~んだ?」

 獅身女に升の意図がわかることはない。

 「そういう意味ではおぬしだって最初は鼻があったのであろう」

 「朝は四本、昼は二本、夜は三本はな~んだ? さあ、答えろ?」

 「おぬしはその問答に答えられぬ者たちを殺してきたんじゃったな?」

 「すべての人間・・赤子あかごのときに手足でハイハイして、のちに二足歩行で歩き、晩年に杖をつくとは限らんのじゃよ。現にいまのワシは”夜にして二本”じゃ。よって答えは人間・・にとか限らん」

 獅身女はいまだかつて、自分のだすなぞなぞそのもの・・・・をテーブルに上げられることはなかった。

 言葉を失った獅身女はただ顔を赤らめていった、口を開くがそこから言葉がでてこない、いや升のよって封じられたと言ってもいい。

 ただ――ググ……、グゥ…… 言葉にならない声だけがもれる。

 頬がだんだんと引き攣りはじめた、欠けた鼻がヒクヒクと上下に動く。

 升の言葉が獅身女を縛り付ける、それは物理的ではなく心理的な抑制だ、このとき獅身女にアヤカシが心の平穏を失ったときの変化が見てとれた。

 能力者たちのあいだでとくに注意すべき状態、上級アヤカシのブラックアウトだ。

 獅身女は升のたった一言によって己のすべてが否定された。

 旅人になぞなぞをだしては答えられない者を食らい踏み潰してきた、だが獅身女は設問せつもんそのものを論破され己の存在理由が脅かされたのだった。

 「なぞなぞとは誰もが納得するたったひとつの答えを用意することじゃな」

 ――ピキ。




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