第167話 上級アヤカシ 獅身女(スフィンクス)

 

日本の地をギシギシ踏みしめて歩く者がいた。

 鋭い目つきのその人物に、空気さえも近づくことを遠慮しているようだ。

 黒い軍服の両肩に飾られた勲章は歩くたびにガチャガチャと重い音を立てている。

 大柄で百戦錬磨といった体格の者はあるところでピタったと歩みを止めると、二角帽子をさっと脱ぎ、体を四十五度以上前方に折り曲げた。

 「お久しぶりです」

 その者はとある人物に声をかけると、日本式・・・の挨拶であるお辞儀をしていた。

 その礼節はすくなからず日本の文化を心得ている所作しょさだ。

 「おお。これはこれは」

 白鬚しろひげの口元がそう発した。

 「升さん。十年前の交流会以来ですね」

 「そうじゃったか?」

 升は筆のさきのような髭をさすりながら、ぼんやりと夜空を眺めて思い返す。

 視線がしばらくのあいだ虚空こくうから返ってこない、升を訪ねてきた者は思わず声をかけた。

 「あの……空になにか?」

 「……ん。いいや、いいや、なにも。それでボナパルテくん。いったいなに用じゃ?」

 ふたたびボナパルテへと向き直した。

 だが升は夜空の奥に、確かになにかを見ていた、だがボナパルテにはそれ・・は見えていないようだった。

 「お訊きしたことがありまして。日本にきてしまいました」

 「わざわざこんな小島ことうにまでかのぅ?」

 「いいえ」

 ボナパルテは態勢を正してから、大きくかぶりを振った。

 「日本は小島ではなく神秘の国です」

 言ってから、ふたたび頭をさげる。

 いまだ、ボナパルテは二角帽子を持ったままだ。

 升は現トレーズナイツの二番手でもありそれなりのポジションにいる、ボナパルテが敬意を払う数すくない人物だ。

 「それよりもこんな時刻に申し訳ありません。言い訳ですがヤヌダーク部下からの調べ物でこんな夜分やぶんになりまして……」

 「いやいや。じじいは、一回寝て起きる時間じゃよ。だから朝の散歩でもと思ったところキミにばったりじゃ」

 (ま、まだ午後の八時過ぎなのだが……)

 「それで神秘の国というのにもかかっているのですが……」

 「なにかのぅ?」

 升はそう答えてから、ボナパルテとはまったく別方向に向き直して、くしゃくしゃだった顔を崩した。

 見開いた目の端が吊り上がっていて、どこかの仏閣にある鬼の像のような形相をしている。

 髭をさする速度もどことなく速まったようだ。

 「すみません」

 ボナパルテもそれにつづき険しい顔をみせた。

 ――すみません。という謝罪にどんな意味があるのか、升はすぐに察した。

 「余計な土産まで」

 ボナパルテがそう言ったあと――連れてきてしまったようです。 声を細めた。

 周囲の空気が夏場のアスファルトのようにボヤボヤと歪んで、柔らかだった雰囲気までがよどみはじめた。

 空間がグニャグニャと渦巻くと小さな穴が開いた、それが次第に拡張していく。

 それはアヤカシだけが通る道、魔空間だ。

 エジプトのピラミッドを守護する石像と瓜二つの顔が姿をのぞかせた。

 よく見ると鼻のさきが、ガリっと大きく欠けている。

 巨体をノソノソと動かしてついには日本の地に降り立った。

 「これは想定外じゃな。なんの予告なく上級がでるとは? なにかの前触れかのぉ?」

 「僕がいますぐ片付けます」

 「いい。いい。ワシがる」

 升はボナパルテを見た。

 それは同意を待つそんな意味がある。

 「ですがこいつとは妙な因縁があって……」

 「それは男が人生をすような因縁かい?」

 「いいえ。あいつの一方的なものです」

 「ならワシに任せておくれ。これが日本のもてなしじゃよ。知らずに踏んだ蟻なら故意じゃなく事故じゃろ?」

 「け、けれど」

 ボナパルテも日本の侘寂わびさびだとでも思って、心を軟化させようとしたがそう簡単に決意できない理由がある。

 ボナパルテが心配しているのは、自分という”フランス”と、升という”日本”の代理の立場だ。

 トレーズナイツのボナパルテが対アヤカシ組織を持つ国連加盟国に入国した場合、自動的に外交特権が発動される、つまり歩くフランス大使館のような存在になるのだった。

 「まつりごとなら、鷹司くんに知られるのも具合が悪いじゃろうて」

 「ごもっともです」

 「この領土は日本。国境をまたいだイザコザは面倒じゃな」

  升は己の目に力を込める。

 ――お互いにのぅ。

 そう言った升が、目の前いる上級のアヤカシを牽制している。

 能力者の極限の集中状態ゾーン。

 升はすでにゾーンに入っていた。

 「しかも相手は上級じゃしのぅ?」

 「……国境のことを言われると返す言葉もありません。どの国でも組織というものは風通しが良とは言えませんから。対外での己の行動は自国の行動と同じ。これは各国上層部の共通認識です」

 「キミもフランス当局屈指の戦闘部隊トレーズナイツ一員。面目めんもくもあるじゃろうが、ここは年上じじいの意を酌んでくれぬか?」

 ボナパルテの心も揺らぐ、そこであることを訊ねたあとに、この成り行きの決断を下すと決めた。

 「すみません。質問に質問に返すようで申し訳ないのですが、僕の質問にお答えいただいてもよろしいでしょうか?」

 「なんじゃな?」

 「僕はこんな話を聞いたことがあります。イタリア当局のある青年・・・・の人事に口を挟んだと」

 「誰がじゃ?」

 「表向きは鷹司さんとなっていますが、本当は升さんあなたと鷹司さんのお二人。日本政府が他国の人事に干渉するなんてふつうじゃありません。そしてそれが通ったことはもっとふつうじゃありません」

 「ワシは理不尽に若者が傷つき苦悩してるのが嫌いなんじゃよ。それに政治的な意味での責任の所在はその若者の父親にあり子供にはなんの関係もない。もっともその父親とて落としどころ・・・・・という点で責任を覆い被されただけじゃ。忌具保管の責任者としてな」

 「レベルファイブの魔鏡【ディオ・スペッキオ】を紛失したのだから当然だと思います。もちろん国家の対面を保つという意味ですが……」

 「だから。落ち着くところに落ち着いたんじゃよ」

 「単刀直入にお訊きします……お二人はイタリアにどんな対価を払ったんですかか?」

 「グングニルじゃよ」

 「ぼ、望具を?! ではグングニルの槍はイタリアに?」

 「ああ。イタリアの忌具保管庫の結界の一部になっておる」

 「国を動かすほどなので、それなりの交換条件があったと憶測していたのですが、まさか貴重な望具を譲っていたとは」

 「それくらいは安いもんじゃよ。と鷹司くんは言っていたがね。ちなみにこの件の発案者も鷹司くんじゃよ」

 (イタリア当局は気づいてるのだろうか? 升さんたちにしてやられたことを。イタリアは日本の条件を飲むことで望具を手に入れたと思っているはず、だが実際はこの二人によって忌具保管庫の防御力を上げられた、つまりイタリアきみたちの管理では不安だと言われたようなものだ)

 「そうですか。真相が知れてよかったです」

 (升さん、鷹司さん、堂流、そして外務省の一条。頭のキレる人間が多いな。まあ、トレーズナイツうちのトップも同じくらいだけど)

 「これで、すこしは爺を信用してもらえたかのぅ?」

 (この人になら任せられる。たとえ対外関係に亀裂が入ろうとも構わない)

 「めっそうもありません。お心遣い感謝いたします。きっと現トレーズナイツのトップ。ルイ=ベルサイユも同じ選択をすると思います。では獅身女スフィンクスの相手をお願いいたします」

 「ああ。承知した」




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