第163話 過渡期と黎明期

 

 「蜂群崩壊症候群ほうぐんほうかいしょうこうぐん。通称CCDシーシーディもネオニコチノイド系農薬がしゅたる原因だと判明したようですが……」

 若い朴訥ぼくとつな白人男性は悠長ゆうちょうに日本語を話しながら、手物のタブレットを操作した。

 いくつか傷が目立つそのタブレットケースは長年使用してきたことが伺える。

 だがそのケースよりも際だっていたのは、ケースを支えるささくれた指先だ。

 両手の指のあかぎれが酷く、はたから見ても痛くなりそうなくらいだった。

 「アインシュタインが言ったという――蜂がいなくなったら人類は四年しか生きられない。あの言葉は本当にがいなくなることで人類が滅びることなのか?」

 「というのは?」

 「蜂さえも地上から失踪するなら、人類なんて滅んじまえってことじゃねーの?」

 「なんか一条さんらしい意見ですね」

 「昨日見たタテガミを捨てたライオン。そしていまから見るモノ。動物の生態系は確実に変化してるからな」

 一条は強硬スケジュールの海外出張でいま北極圏にいる。

 チャーターした船内の窓から数十メートルさきの流氷を眺めた。

 眼下には凍えるような群青の海が広がっていて、ボコボコとした漣が飛沫をあげている。

 だがあるところで海水と氷塊ひょうかいとがくっきりと分かれていた、それを流氷とは呼ぶにはあまりに大きい氷の大陸だ。

 「そうですね。いました。あれです」

 白人男性が指さした延長線上には、見慣れぬ大型動物がまるで雪原をむように地に口をつけていた。

 口元が咀嚼そしゃくを繰り返す。

 白熊にしては丸みを帯び、体毛の大半が茶色でふつうのソレよりも一回り以上は大きい。

 「あれがグリズリーとホッキョクグマのハイブリッド種か?」

 一条は目の前に確かに存在している希少動物を眺めながら、大した驚きもみせなかった。

 「はい」

 「自然交配なんだろ?」

 「そうです。環境の変化に伴う生態系の崩壊は著しく顕著です。その熊もそうですがタテガミを捨てたライオンなど、既存とは違う変化をとげる動物も多いみたいです」

 「けど近種の自然交配なんてむかしからあったろ? 豚と猪とか……」

 「はい。ですが問題なのはそこではなく生息区域の減少によって本来、遭遇しない種が出会ってしまうことにあります」

 「ああ、そういうことね。けどそれってある意味運命・・の出逢いってやつじゃね?」

  白人男性は涼し気に微笑んだ。

 「それは良い出逢いですか? それとも悪い出逢いですか?」

 「それは動物たちに訊かねーとな」

 白人男性はまた同じ笑みを見せてから――ふぅ。と溜息にも聞こえるような呼吸をした。

 それは一条が返してきたどこか皮肉的な言葉への対処法だった。

 「この状況を退化とする向きもあれば進化とする意見もあります」

 「動物にとっちゃ進化も退化も関係ねーよな。ただ順応じゅんのうしたそれだけなんだろ」

 (ある意味動物のキメラタイプか)

 「そうかもしれません。動物たちの異変はたいてい人間の視点ですから。案外本人たちはその変化を喜んでいたりするのかもしれませんし」

 「あるいは自分でも気づいていなかったりな」

 「えっ、あっ、そうか動物は外見の変化を自分で確認することができないですからね。タテガミを捨てたライオンは体温調節のためだとも言われています。そうなると自分ではすこし過ごしやすくなったなくらいにしか思っていないのかもしれません」

 「それも直接訊かなきゃわかんねーな」

 白人男性は――ふぅ。とまた溜息にも聞こえるような呼吸をした。

 意味合いはさきほどと同じだ。

 「人は急激な変化を嫌います……まあボクもですけど……」

 「時の加速が早すぎるとついていけねーからな。置いてけぼりにされるような気になるんだろ。最近なら仮想の通貨が急速に発展してるな」

 「あっ、あれについては、正直、ボクはよくわかりません」

 「詳しいか詳しくないかじゃなくて多くの人は取り残されることに怯えてるんだろ」

 (もしブロックチェーンあのぎじゅつがノアの方舟はこぶねだとするなら、乗ったやつは救われるのか?)

 「人はむかし物と物を交換してたそこに誰か・・が貝殻と肉、魚、果実どれでも交換できる発明をした。やがてそれをみんな真似た。効率がいいからな。そうなったときに初めて貝殻・・に価値がでる、だからみんな貝殻を欲しがった。同じ道理で紙幣ができた。だからみんな金を欲しがる」

 「ああ、そう言われてみれば」

 「やってることはむかしと変わらねー。物々交換をしてたときに貝殻を使いはじめた過渡期かときと仮想通貨の黎明期れいめいきは似たりよったりだ。誰が最初にはじめたのかもわからねーけど。あるいは神とかそういう種なのかもな……」

 「これからさきの世代が当たり前に仮想通貨を使うとするなら、――むかしは紙幣や硬貨を使ってたんだって。そんなありふれた日常会話が生まれますね」

 「ああ」

 一条はそう返してからいつも吸っている、どこか海外の王家の紋章のようなロゴの入った、赤と白のバイカラーの小さな箱をとりだした。

 「ちょっと喫煙室に行ってくる。そろそろ向かってくれていいぞ」

 「わかりました。船長に伝えてきます」

 「頼んだ」

 「亜空間を使いますのでジーランディアには早くて十時間後ですね」

 「わかった。進入ポイントに到着したら、あとは亜空を通って、ジーランディアの入口まで行く」

 「はい」




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