第157話 痛みを背負う者

その声のあとすぐに社長室のドアの前で人の息づかいが聞こえた。

 繰は誰が訪ねてきたのかをはっきりと理解している。

 リモコンを手に素早くテレビの電源を消した。

 ――コンコンと小さな打音とともに――お姉。入ってもいいか?という声が聞こえた。

 「ええ。いいわよ」

 「じゃあ入る」

 寄白はゆっくりと勢いよくの中間ほどの力でドアを開いた。

 「美子。終わったの?」

 「ああ」

 寄白は繰を見据えたまま深刻そうにうなずく。

 「んで、どうだったの?」

 「ノートの忌具だった」

 「そっか」

 「あの忌具はとてつもなく思念が強かった」

 「じゃあ、早めに対処できてよかったわね?」

 その問いに寄白は答えなかった。

 繰は数秒返答を待つ。

 ――美子。美子。どうしたの? 繰が心配そうにつづけた。

 「あのノートの持ち主はこの日本しゃかいの犠牲者だ」

 「えっ?」

 繰はそう口にしてから、子供諭すようにゆっくりと――美子。と名前を呼んだ。

 「忌具って元々そういう物だったじゃない? 誰かの怨みつらみなんかが道具に入るんだから……」

 「わかってるよ」

 ――じゃあ。繰のそんな言葉に被さるように寄白が口を開いた。

 「アイドル観たい」

 寄白はポツリとつぶやく、雨のなかに捨てられた子犬を見つめるように物憂げな表情をしながら。

 ――アイドル? そう反唱した繰には、その言葉の意味がまったくわからなかった。

 「えっ、なんのこと」

 「アイドルを観たい」

 「美子が観たいってこと?」

 「人で溢れ返ってた」

 寄白は浮かない顔のままそう言った。

 「……ん? どこが?」

 「六角駅。タオルやうちわそんなグッズを持った人がたくさんいた」

 「ああ~。今日はワンシーズンのライブがあったからね」

 「そして、あの柱が動くとか動かなとかの噂でも盛り上がってた」

 「柱は株式会社ヨリシロうちの仕事でもあるしね」

 「……その駅であのノートの持ち主は列車に飛び込んだんだ」

 「えっ、あっ、そっか。いつだったかそんな事故があったわね」

 「そう。誰も覚えちゃいないんだよ。他人がいつどこで死んだかなんて。柱が動いたのは列車に飛び込んだ人の呪いだって言ってた。ある人は柱が動いたのは、駅前のビルで飛び降りた人の呪いだとも言ってた、まるで添物そえもののように結びつけられて……」

 「う~ん」

 繰は寄白の言葉を優しく飲み込んで――確かにそうね。と同意する。

 そこから繰は黙って寄白の話を聞きつづけた。

 「だろ。もしあのノートの持ち主が今日飛び込んだなら、きっとファンはライブの遅延を心配するだろう。その人がどんな理由でなに絶望して死んだのかはどうでもいいってことだ」

 「そうね。でも美子、それはやっぱり他人だからよ。知りもしない人の人生に踏み込んでいく必要がないもの。だって知らない人なんだから。美子はたまたま、そのノートの深淵しんえんをのぞいてしまった、だからそのノートの持ち主が知人くらいになっちゃったのよ」

 「それは」

 「きっと美子だって今日その忌具と関わってなければ、その飛び込み事故のことを知らなかったんじゃない?」

 「……」

 しばしの沈黙が訪れる。

 「お姉の言うとおりだ。返す言葉もない」

 「けど、私は美子のその優しさが好き」

 「お姉。どうしてあの人がその犠牲に選ばれたんだ?」

 「それは確率じゃないかな。この世界で“アタリ”を引く人と“ハズレ”を引く人がいたなら、往々にして“アタリ”の数はすくないから」

 「あのノートの持ち主はハズレを受け持ったと」

 「そうね。それを運命・・とか宿命・・とかって呼ぶのかも」

 「ハズレが多いのは私でもわかるさ。でもハズレを引いた人が追い打ちをかけて苦痛を味わうのはどうしてだ? ハズレを上回るアタリをどうして与えられないんだ」

 「もう世界が負力で充満してるから」

 繰は考えつつ――かな。と足した。

 「悪いことには悪いことが重なっていく。世界って残酷なのよ」

 「あのノートの主は。――誰に助けを求めればよかったのかって苦悩してた。この世界で誰かに助けを求めたなら救いの手を差し伸べてもらえるのか?」

 「おそらくないわね。極論を言えば誰かが誰かを助けるなんて無理なのよ。私は堂流が亡くなったとき物を食べてもすぐに吐いたし、数分横になっただけで悪夢を見て飛び起きた、いっそこのまま心臓にナイフを突き刺してほしいとさえ思った」




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