第154話 ルビンの壺 ―錯視―

『ヨルムンガンド』

 「ヨルムンガンド? じゃあ、そのとき同系種の上級アヤカシがゴビ砂漠に集合してたっていうの。それも三体?」

 (すべて同じ蛇……日をまたいではいるけど丸一日のできごと。なんなのこの違和感は)

 『そういうこと。ただしモンゴルではミドガルズオルムとヨルムンガンドとの固体識別を誤ったために公な情報としては伏せられてるの。世界に発信された情報だっていくつもの人の手が介入していて曖昧にしてるしね』

 「そんなことあるの?」

 『それがあるのよ。私がトレーズナイツになって初めてボナが口を割った。まあ私がボナに認められたって証拠なのかもしれないけど。……どこに国にもひとつやふたつくらい隠してることがあるってことらしいのよ。国家の威信やメンツってなによりも重要なんだって。それが各国のパワーバランスにもつながるし』

 ふとヤヌダークの背に冷たい感覚が走った。

 それがなんなのかを理解するのに数秒を要した。

 それは昨日ロベスにかけられた言葉だ――なあ、オマエさ、良い人辞めたいとか思ったことないの?

 国家への不信感から、転生のパラドックスが始まったりするのかもしれない……。

 まあ私はそんなことにはならないけど。

 ヤヌダークは己に言い聞かせる。

 「本当にあるんだね。そういうの」

 『ええ。日本にだってあるんじゃないの? それに、その隠蔽は最終的に北欧もふくめたEUの総意になった』

 「EUの? う~ん。どうだろ……」

 (上層部ってのは聖人君子せいじんくんしじゃないってことか……どのみち私じゃ日本当局の情報なんて知ることはできないし)

 『EUの総意って言ったって加盟国それぞれの思惑もからんでるだろうし。現にいまだってイギリスのブレグジット(※EU脱退)、ギリシャのデフォルト(※債務不履行)、スペインのカタルーニャ独立運動なんかでヨーロッパはゴタゴタしてるし』

 「世界史の教科書に載のるようなことが現実で起こってるんだよね」

 『そう。現実味に欠けるけれどね。それでも世界は確実に動いてる』

 「この瞬間も歴史が作られてるんだよね」

 (ベルリンの壁だって小さな勘違いで崩壊してふたたびドイツは統一された)

 『そうまさにこの一秒一秒が歴史になっていく……』

 「いまを生きてる人は全員時代の先端にいるってことだものね?」

 『そうね』

 「九久津くんがバシリスクを倒したのも、歴史を更新したってことになるのか……」

 『そうなるわね。それでね当初はあの広大なゴビ砂漠のなかにミドガルズオルムだけ蠢いていると思われていた……ただ、あまりに異様な事態にモンゴルのハン・ホユルがあらかじめボナに応援を頼んでたみたいなの』

 (ハン・ホユル。モンゴルのなかにいる砂漠の守り人デザート・ガーディアンのトップか)

 「A地点にいたと思ってた上級アヤカシが同時にB地点にもいるってことだものね。さらにバシリスクもいたならC地点にも出現ってことになるのか」

 『そうよ』

 「それはみんな混乱するか……」

 『モンゴルの指揮系統がボロボロになったって話。ただでさえ砂漠は下級アヤカシから中級アヤカシが山のように存在するからね』

 二人はまたなにかの対局のように話を進めていく。

 互いにその筋のプロのごとく的確なはなしの駒を打つ。

 見えない盤の上を、繰の一手、ヤヌダークの一手、それぞれがそれぞれの領地へと入り込んだ。

 繰のつぎの一手。

 「でも、バシリスクがヨーロッパに出現した理由はわかったけど。悪魔がバシリスクを護衛してた謎がまだ解けてないわよね?」

 『ああ、それね……』

 ヤヌダークの声が沈んだ。

 『私が言った言葉を覚えてる?』

 「ええ。もちろん」

 (――ゴエティアの悪魔とバッティングしたからよ。数体の悪魔が、まるでバシリスクの護衛でもするかのように取り囲んでいた。……ヤヌは確かにそう言った。さらに――きっとバシリスクの近くに契約者がいるはず――とも言った)

 『けどね、私たちがいま話した状況を総括すると話が変わってくるの』

 「どんなふうに?」

 『あの遣い魔は護衛じゃなく』

 ヤヌダークの声の質がさらに落ちた。

 『バシリスクの見張りだった。私の視点を変えれば見張りにしか見えない』

 「み、見張り。バシリスクの? なんのために?」

 ヤヌダークの突飛な発想に、繰は息を飲んだ。

 それもそのはずだった、バシリスクを見張るという行為は必然的にバシリスクよりもさらに上の存在がいるということにほかならないからだ。

 『理由はわからない。それに見張りであると仮定すればバシリスクと悪魔の主従関係も変わってくる。護衛ならば、ぬしはバシリスク側、見張りの場合のぬしは悪魔側になる。悪魔がこちら側に背を向けているか腹を向けているかで、その意味合いがまったく違う。私が発した帰巣本能ってのもきっと無関係だと思うわ。本体契約だって予想したのもつまりはそういうこと。最初から魔契約なんて必要ないのよ、主がゴエティアの上位クラスなら、下位悪魔に命令することなんて当たり前なんだから。こんかい時期を早めて日本に出現したのもやっぱり誰かが引き寄せたのよ』

 「なるほど。そう考えるなら日本に引き寄せた人物がおのずと主というになるか……」

 繰はヤヌダークにそう言いながら自分にも言い聞かせた。

 (そうなると。やっぱりY―LABや解析部に裏切者はいなかったんだ。完全な証拠があるわけじゃないけど。でも心が軽くなった、あのとき雛も言ってたっけ――バシリスク側になんらかの理由があると考えます。あの意見が正当な理由になりつつある)

 『そういうことでは私があの遣い魔を倒すことでバシリスクに自由を与えてしまったことになる……あいつを見張りから解放したのは私と部下』

 「それはヤヌのせいじゃないわよ。その状況なら誰だってヤヌと同じ選択をするはずよ。現にバシリスクを倒せる三回のチャンス、フランスをふくむほか国も同じことをしたでしょ。あんまり自分を責めないで」

 (どの角度から物事見るかってことよね。――街を守護る山がある。なんて話を聞けば、ふつう山が町の内側を守ってるって思うもの。バシリスクを囲うように悪魔がいれば同じように思うわよね。これを護衛とみるか、見張りとみるか……確かに視点の問題。上級のアヤカシのそばに、それほど強くない悪魔いれば当然仲間だって錯覚するわ)

 『私はまんまとバシリスクの思惑にのってしまったったのよ。知らず知らずに誘導されてね』

 そう言ったあと、ヤヌダークは急に繰との距離が離れていくのを感じた。

 それは繰が離れるというよりも、ヤヌダークの心が得体の知れない不安のなかに落ちていく感覚だった。

 ―― オマエはやらなくていいこと・・・・・・・・・・をやった・・・・。なんでかな? やらなくいいことだったのにさ。――だから自由を与えてしまいましたとさ~めでたし。めでたし――

 ヤヌダークの心に霞がかかる。

 ……ロベスのあの言葉って、まさかバシリスクのことを言ってたの?

 あまりに一致してる。

 自由を与えた……バシリスクを野放しにした。

 私が……。

 でもそうなると、ロベスはバシリスクの一件に一枚噛んでるってことになる。

 ヤヌダークは自問を繰り返す。

 「そういうこともあるわよ」

 繰がそう言ってあとにヤヌダークからの返答はなかった。

 「ヤヌ。もしもしヤヌ。聞いてる?」

 まだ返答はない。

 「ヤヌ。大丈夫。なにかあったの?」




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