第149話 たゆたう悪

沙田が国立六角病院に来院する一日前。

 フランス某所。

 五人の大人が両手を縦横に伸ばしても、まだ余裕のあるほど広い暗渠あんきょのなか。

 上部はすべて崩れ落ち空まで遮るものはない、暗渠の横壁には無数のヒビが走ってはいるが、そこに水が流れてきても構造通りに進んで行くと推察できる。

 水路の中央で五メートルほどの間をとり、対峙している二人の人物がいる。

 ――ビュン。ヤヌダークの頬を火の玉に似た紫色のほのおかすめていった。

 いまだにジンジンするような熱を感じ頬に手を当てた、肌と肌が接触した瞬間にさらに鋭い痛みが走る。

 「痛っ……。私は火が嫌いだって言ってんでしょ」

 「知ってるよ。だからさ」

 「だからってどういう意味。ロベス」

 ヤヌダークが“ロベス”と呼んだ相手は怪しげなひとりの男だった。

 セミロングのウルフヘアに赤いマントをまとい、右半分を仮面で覆っている。

 その仮面がもし左右対称でひとつであったなら、仮面の中央にはアゲハ蝶の模様が彫られている。

 赤いマントにはヨーロッパのどこかの王国のような紋章が施されていた。

 「おまえが火を嫌うから、俺がその技を放ったのさ。というか俺の名前はロベス・・・じゃないんだよ。本当は、ね。くく」

 「あんたの名前なんてどうでもいいでしょ」

 (本当に掴みどころのない男)

 「名前って大事だろ」

 ロベスはそう言うと節操のない話をつづける。

 抑揚よくようのない話かたではロベスの気持ちがまったく読めない。

 そんなロベスにヤヌダークは終始ペースを乱されていた。

 仮面の半分からでている口角が上がる、はたから見ても冷笑しているのがよくわかる。

 唇につられて肩も小さく蠕動ぜんどうする。

 「なあ、おまえさ、良い人辞めたいとか思ったことないの?」

 「……転生のパラドックスのこと言ってんの?」

 ヤヌダークはロベスの意図を探るように返した。

 「ああ、そうだよ」

 「ないわよ。私は私のままで生きる」

 「ふ~ん」

 「なにあんたまさかこの期に及んで改心したとか言わないわよね?」

 ロベスはヤヌダークに問いに「ま」と「さ」と「か」を区切って返した。

 「か」の言葉にまだかかっているとき、ロベスは地を蹴った、わずか三歩でヤヌダークの目の前に姿を現した。

 ロベスが下から突き上げた拳がヤヌダークの鳩尾みぞおちにめり込む。

 ――ぐっ。ヤヌダークはそう声をもらし、そのまま数メートル後方へと弾き飛ばされた。

 ヤヌダークはその流れに逆らわずに片方の踵を地面に擦りつけて、体躯を留めた。

 地面にはキャタピラのようにヤヌダークの踵の跡が残っていた。

 「不意打ち?」

 ヤヌダークは腹部を押さえている。

 ヤヌダークのまとっている甲冑はロベスの攻撃ほぼすべてを吸収していた。

 「はあ? 戦闘中に不意もなにもないだろ? よくそんなんでトレーズ・ナイツに昇進できたな?」

 「それは私を評価した人に訊いてよね?」

 「わかった。今度訊いておくよ」

 「……?」

 (毎度ながらなんなのこいつ。誰に訊くっていうのよ……)

 ロベスは右に飛ぶ。

 暗渠の壁を蹴ってこんどは左のほうへと飛んだ、それを見越したうえで、ヤヌダークは両手で防御態勢をとっている。

 ロベスはいまヤヌダークの頭上を舞う、そこで全宙してからヤヌダークの脳天を狙って鋭い蹴りを見舞った。

 ヤヌダークはとっさに両手を上げてガードする――ドン。という衝撃が腕に伝わり、ザザッと二歩ほど体が後退した。

 ロベスは体幹に一寸のブレもなく着地した瞬間、間髪入れずに体を真横、三百六十度回転させて回し蹴りを放つ。

 旋回の遠心力をふくんだ踵がヤヌダークの脇腹にクリーンヒットした、ヤヌダークはそのままヒビ割れたコンクリートまで吹き飛ばされた。

 (くそっ?!)

 {{フランベルジュ}}

 「そっか。おまえの能力【異端の軍事指揮者ひゃくねんせんそうの・しゅうしふ】って、武器望具の具現だったな? じつは【望具保有者セイクレッド・キュレーター】がおまえってオチ?」

 ヤヌダークは刀身とうしんが波打った刀を壁にさして勢いを削いでいた。

 壁に突き立てたフランベルジュで衝突を回避しても、威力の反動で首には小さなダメージを受けていた。

 (痛っ……)

 「違うわよ」

 「あっそ。それもどうでもいいや。転生のパラドックスってさ。前世が偉人でも現世で悪になるやつがほとんどじゃん。悪人が改心したなんて聞いたことないし」

 ロベスは乱れた髪をかきあげ手櫛てぐしで整える。

 「さっきからなに言ってんの?」

 (……ダメ。あいつのリズムに呑まれる)




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