第148話 蒼褪めた夜

「九条先生。開けてもよろしいでしょうか?」

 「どうぞ」

 「失礼します」

 気を使って半分だけ顔をのぞかせたのは、只野のところにいた看護師だった。

 九条に急患の罰当たりの代理診察を依頼した人物でもある。

 「……ん。どうしたの? さっきの患者さんになにかあった?」

 「あっ、いえ、違います。あのこれ」

 手を振って否定しながら部屋のなかに一歩だけ踏み込んで、ひょこっと一礼した。

 逆の手には丸まった一枚の紙きれがある。

 「これです」

 それはFAX用紙だった。

 「なに?」

 「九条先生。先程はありがとうございました。入ってもよろしいでしょうか?」

 「あっ。どうぞ」

 看護師はドアが閉まらないように大きく開いて固定させてから、また丁寧に頭をさげた。

 「失礼します」

 「うん。いいよ。いいよ。それで」

 「あの、これです」

 「なに?」

 「気象庁からのFAXです」

 「気象庁? ……からのファッ……クス……?」

 まったく心当たりのない九条は戸惑う。

 「はい」

 看護師はこくんとうなずいた。

 「それボクにきてたの?」

 「はい、そうです。だからお持ちしました」

 「ぜんぜん思い当たるがないんだけど」

 「えっと、外務省の一条さんの署名が添えられていますけど。これ」

 看護師が指さした個所には、デカデカと癖のある一条の直筆文字があった。

 【これ見た人いたら九条に渡して! よろしく。 外務省 一条空間】

 「一条? あっ、じゃあボクだね」

 「どうぞ」

 「ありがとう」

 「では、失礼します」

 看護師は九条にFAXを手渡しふたたび頭を下げた、その際にも罰当たりの代理診察の礼を述べてから、最後の最後までドアの音に気を遣いでていった。

 「律儀な娘だ」

 (……海外公務に行く前にこの手続きをしてくれたのか? 仕事の早い男だ。まあ、うちのスタッフもみんな優秀だけど)

 九条は丸まっていたFAX用紙を広げた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 一条様。

 以下が質問の回答になります。

 まことに申し訳ないのですがレイリー散乱はひとつの現象ですので、日々観測するものではありません。

 よって代わりとしてですが、該当日、該当場所の一時間区切りの天気を記載いたします。

 (温度、湿度も、ご所望ならば、後日お申し付けください。)

 該当時間が青空であればレイリー散乱は起こっていたと考えてよろしいかと思います。

 それではよろしくお願いいたします。

 ●午前

 0時~1時(晴) 1時~2時(晴) 2時~3時(晴) 3時~4時(曇)

 4時~5時(曇) 5時~6時(曇/晴) 6時~7時(曇/晴)

 7時~8時(曇) 8時~9時(曇) 9時~10時(晴)

 10時~11時(晴) 11時~12時(晴)

 ●午後

 12時~13時(晴) 13時~14時(晴) 14時~15時(晴)

 15時~16時(晴) 16時~17時(晴) 17時~18時(晴)

 18時~19時(曇) 19時~20時(曇) 20時~21時(曇)

 21時~22時(曇) 22時~23時(曇) 23時~24時(曇)

 日没 18時55分

 気象庁

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 (そっか。レイリー散乱ってのは毎日記録するものじゃないのか。……ん。日没が18時55分。18時以降が曇り……ってことは)

 九条は小さなテーブルの上に置かれているリモコンをそっと指を伸ばした、指先を二、三度漕ぐように動かしてリモコンを引き寄せて手に持つ。

 縦線に左を向いた二等辺三角形が二つ連なるボタンを押すと、画面の映像は瞬間的に先頭に戻った。

 つぎは右向き二等辺三角形が二つ連なるボタンを押した、さらにもう一度押して二倍速で映像を再生していく、そのある個所で標準速度の再生に変更する。

 九条は手のなかでリモコンを下にすべらせた、ちょうど親指が音量のプラスボタンに当たるそのまま手早く数回早押しした。

 等間隔に並んだ長方形が右に増えていく、同時にその上にある数字も増大していった。

 (これくらいの音量なら)

 看護師長たちのセリフが流れる。

 ――もう薄暗くなってきたね。

 (もう一回)

 左を向いた二等辺三角形が二つ連なるボタンを押す、看護師長たちがカクカクとした関節で逆に動く、前に進んでいた足も後退する。

 (ここで、再生)

 ――もう薄暗くなってきたね。

 九条はその話を聞き取ったあと、今度は二倍速の早送りをした。

 (ここだ)

 オペ室で見切れている壁時計の映像で一時停止した、時計が示している時刻は19時05分。

 (……九久津くんの蒼への執着。空が青い理由。青空。レイリー散乱。――薄暗くなってきたね。日没。オペ室の時計)

 九条は、またFAX用紙に目を通す。

 視線はトナーで、すこしかすれた文字を追った。

 (……看護師長は――薄暗くなった。と言った。この時点では九久津堂流は搬送されていはいない。日没は18時55分。空の色と時間から考えても、この時点ではまだ夜じゃない。天候に目を向ければ、その日の18時以降から日をまたぐ午前零時までずっと曇り、となると日没以降はずっと曇っていたことになる。レイリー散乱も雲によって阻まれている、結果的には夜になったとしても青空は出現ない。つまりはバシリスクが出現したその日に“蒼褪めた夜”なんて現象はありえない。その日はふつうの曇った夜だった。もし医学的見地から蒼褪めた夜を再現しようとするなら……それはきっと……。そう……バシリスクの出現によって九久津くんの身に偶発的に起こったものだ。ただその日、バシリスクに関わった関係者たちがどこでなにしていたのかも今後の焦点になる)

 画面のなかの壁時計なおも19時05分で止まっている。

 九久津堂流を救う人も止まっていた。

 (診察室で九久津くんがしきりに言っていた。“蒼い夜”と。その出来事がそれだけ九久津くんの記憶に残ったってことだ。スタートとゴールが瞬時に圧縮された。つまり“蒼褪めた夜”とは意識の途絶とぜつ。早く言えば昼間青空を見た直後に意識を失い、夜に取り戻した。それが“蒼褪めた夜”の正体だ。医学的には一過性健忘か。健忘の引金がストレス性だったのか外傷性だったのか、あるいは……もっと違うものなのか……。やっぱり九久津家に訪問しての聞き取り調査が必要だな。もしかしたらそっちのアプローチから、毒の入手経路にも繋がるかもしれないし。新たな道が拓けたな)

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