第142話 あの日診た,患者。

 

只野先生は、そう言って辞書をぱたんと閉じると、机の横にあるラックへと両手を伸ばした。

 上に置かれた銀色のボウルに手を入れて透明な液体で指先から手首までを、ばしゃばしゃと洗う。

 ボウルの上でなんどか手を振って飛沫を飛ばして、ラック横にかかってるタオルで手を拭いた。

 ――ごめん。もう一回、目を診せて。

 只野先生は俺の下瞼を引っ張り、また目をのぞきこんだ。

 目元に指先があるのにクレゾールのニオイがする。

 「じゃあ、あの預言の書がこの魔障の原因の可能性が高いってことですか?」

 俺はされるがまま、あっかんべー状態で言った、只野先生の指はそのまま右目から、左目に移った。

 「おそらくは違うかな。【啓示する涙クリストファー・ラルム】自体には、十年前にかっていたと僕はみてる。でも、それにいつどこで罹患したのかははかりかねるけど。ただ、こんかい沙田くんが忌具に触れたことによって潜伏期間だった【啓示する涙クリストファー・ラルム】の随伴症状、つまり赤い涙がでたってことだと思うよ」

 只野先生はそう言ったあとに、ひとりうなずいた。

 ――うん。OK。

 かすかに聞こえた。

 只野先生は、自分にも言い聞かせてるようだった。

 「ってことは僕のこの魔障、じつは十年前に罹っていて預言の書に触れたことで、それが発症したってことですか?」

 「早い話そういうことになるかな。最近体質に変化が起こったことはない?」

 「あっ?! あります!! あります!! 特異体質だと思ってたものが、きれいさっぱり消えました」

 そうだ、俺の体質完全に変わったんだ。

 「どんな体質だったの?」

 「アヤカシに遭遇うと、体中に電気が走って震える感じです」

 「そっか。それは能力者特有の条件反射だろうね。ほかの能力者でもアヤカシの気配を感じるとなにかしらの反応が起こるからね。それでその体質はいつ消えたかわかる?」

 「えーと……たぶん。シシャとの戦いのときだと思います。ツヴァイドライが出現した影響で」

 「なるほど。大きな転機で体質が変わることはよくあるから。じゃあ特異体質の消失と引き換えで【啓示する涙クリストファー・ラルム】が悪化したのかもしれないね? 沙田くんの、特異体質って生まれつきだったの?」

 えーと、あれに気づいたのはいつだっけ?

 園児のときにドッペルゲンガーと目が合った瞬間もブルってた記憶があるな。

 けど、あれはツヴァイのことだろうし。

 水陸両用の翼竜を見たとき……って、あの恐竜は……鵺のはずだし。

 だとしたら、やっぱり十年前か。

 正確には十年くらい・・・前だから、只野先生の推測と一致する。

 十年くらい前なら園児のころも十年くらい前の範疇だろうし、ただ、赤ちゃんのときにそれがあったのかは自分じゃわからないな。

 「生まれつきなのかどうかは、ちょっとわかりません」

 「そう。まあ、しばらく目薬を使ってみてよ?」

 「は、はい。わかりました。あの~魔障って本当にたくさんの種類があるんですね? さっきたまたまハンバーガーを食べてる女の娘を見て思ったんです」

 「あのとき沙田くん居たんだ」

 只野先生がちらっと俺を見た。

 「アヤカシや忌具から受けた疾病。それにディザスター型で多くの犠牲者がでる広域指定災害魔障とかもあるしね。本当に幅広いよ」

 「あまり一括りにはできないって感じですか?」

 「そうだね。たとえば、産女うぶめという種類のアヤカシがいるんだけど、相手によっては厄介な症状を示す」

 「産女ですか?」

 「口から思念砲というのを吐くんだけど……」

 只野先生は両手を使って身振り手振りで技を表現した。

 「思念砲? 強そうですね。それをくらうとどうなるんですか? もしかして体がドッカ~ン!! とか。、ですか?」

 「僕がくらったなら……」

 只野先生が間をおく、こんどの間はそんなに深刻な感じはしない。

 「ハリセンで叩かれるくらいの衝撃」

 腕を振り下ろす仕草を見せた。

 「弱っ!! 弱くないですか?」

 「そうなんだよ。産女は非力な低級アヤカシだからね。ただ産女の思念砲で恐ろしいのは物理的な衝撃じゃなくて思念のほう」

 「思念?」

 「産女の成り立ちは非情な目にあった妊婦でね」

 そう言えば、アヤカシって時代に沿って新種が誕生したりするんだっけ?

 いろんな時代で悲惨な目に遭った人の負力が、アヤカシを生むんだった。

 それなら現代でもいろんなアヤカシが生まれるってことだよな、てか、この時代のアヤカシはヤバい気がする。

 上手く言えないけどなんか極端から極端にメーターを振り切ってるような。

 むかしならアヤカシでも人知無害な種類もいたんだろうけど、いまは闇が強すぎる。

 大勢の人が犠牲になるような、とんでもない種類が生まれそうな気がする。

 「だからその思念砲が怖いのは、色恋いろこいを抱えた感情に反応し対象者の心を惑わすことにある。まあ、でも受傷者の防御力しだいって側面もあるんだけどね。免疫力のように。思念砲は男性だと罹患りかんせず女性にのみに発症する魔障。だから僕らがくらってもハリセンで叩かれた程度。女性の場合は、その人のそのときの環境しだい。産女の思念砲は女性性魔障と呼ぶんだけどね」

 「えっ、性別によってかかかからないもあるんですか?」

 「そう。だから男性にだけ罹患りかんする男性性魔障もある。濡れ女の誘惑とか、民話にある雪女の誘いとか。【氷女の口づけ低温火傷フリーズ・ベーゼ】って魔障なんか怖いよ~雪女に氷漬けにされちゃうから。冬季だとときどき運ばれてくるかな」

 怖っ?! 怖すぎる。

 雪女、恐るべし。

 民話や昔話も現代人への戒めや忠告とかって聞くしな。

 でも、現代はそんなのとはタイプが違う気がする。

 むかしなら、すこし人を怖がらせてやろうとか、心を入れ替えたら許すとか、そんなが種類が多かったように思う。

 ところが、いまは音もなく突然ばっさり……的なさしずめアヤカシの現代っ子。

 「でもアヤカシはどうやって性別を判断するんですか?」

 「これはもう見かけや男の心、乙女心なんてのは完全無視。生物学上のXX染色体とXY染色体で決まる」

 「は~なるほど。完全に生物としての判断なんですね」

 お~、今日の授業が役に立った。

 学校の授業って本当にためになるんだ。

 大人の言う――将来のための授業。って、こういうことなんだろうな。

 それに九久津も俺によく言ってたな、兄の受け売りだけど――学校の勉強は大事だ、それこそ、これからの戦いにも間違いなく役に立つ。って。

 「そうだよ。いつだったかな。僕が救急で出向いた患者さんも産女の魔障だったな」

 (おっと。これは守秘義務が……彼女・・が患った魔障……。【色恋の混乱アンテロース・コンフュージョン】……)

 「へ~」

 でも、救偉人の先生なら、それもぱぱっと治せちゃうんだろうな。

 さっきの病み憑きの娘みたいに。

 「ただ、その産女ってのがかなり出現率の低いキメラタイプって種類だったんだよ」

 「キメラタイプ?」

 「そうそう。二種類のアヤカシがひとつの鋳型から誕生するタイプのアヤカシ」

 「そんな種類のアヤカシがいるんですね?」

 「うん。いるよ。ただキメラタイプが出現するなんて、本当に稀なんだよ」

 アヤカシの起源にそんなことは書いてなかった。

 その出来事は滅多にないことなんだろうな。

 「僕も覚えておきます」

 「うん。ためになると思うよ。正直、アヤカシについてはまだまだわからないことも多いし。まあ……それは魔障も同じかな。とりあえず、きょうの診察は終了。沙田くんには、対処療法の点眼を一日一回分処方しておきます。それで涙の赤がふつうの透明になるから。ほかの人が見てもドライアイくらいにしか思わないんじゃないかな?」

 「わかりました。けど一日一回でいいんですか?」

 「うん。大丈夫。寝る前に差すだけで、翌日は丸一日ふつうに過ごせるから、学生生活に支障はないと思うよ」

 「寝る前に一回だけって、ありがたいです」




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