第138話 シュミラクラ

 診察室の近くに行くと四人掛けのソファーが置かれてた。

 薄緑の落ち着いた柔らかな生地のソレに俺とエネミーは腰かけた。

 目の前の本立てにはたくさんの雑誌が並んでる。

 どこの病院でも同じように、女性ファッション誌や週刊誌、新聞ばっかで読む気がしなかった。

 しかたなく、辺りをキョロキョロと眺める、さきほどの戸村さんという看護師さんがゆっくりと車イスを押してきた。

 ギシギシという車体の音とゴムが床にこすれるキュルキュルという音が、こっちに近づいてきた。

 見るからに重いんだろうなって思う。

 エネミーは座ったとたんにウトウトしはじめ半分眠ってるみたいだ。

 やっぱり昼寝が必要なのか。

 戸村さんは患者さんの動きに注意しながら、一定のリズムで車イスを前に進める。

 そこにちょこんと座ってたのは、小学生になったかなってないかくらいの小さな女の子だった。

 花柄のパジャマ姿の女の子は、なんかの怪我なのかわからないけど、しきりに右膝をさすってる。

 すこしだけ不安そうな、その子と目が合った。

 「お兄ちゃん、これ見て」

 女の子は嬉しそうにパジャマの右足を膝上まで勢いよくめくった。

 子供らしく豪快だ。

 こんな怪我なんだよ、見てってことか。

 子供のときはよくあるよな、大人にこれ見て見てってやつ。

 さらに入院してると、外の人とあまり接することもないから人恋しくもなるだろう。

 これは負力も溜まりそうだ、病院ってある意味スゲー負力の発生源だということに気づく。

 「……なに?」

 俺は、ソファーに座ったままで、すこしだけ視線を落としてその子の膝を眺めた。

 膝には大小の窪みが四つあった。

 穴ではなく、皮膚が窪んでる感じだ。

 窪んだ四つの楕円がちょうど人の顔に見える。

 あれが両目で、あの小さい縦長のが鼻、そして少し右に吊り上がってるのが口……か。

 「これどうしたの?」

 ほんのすこしだけ沈黙があった、俺は目で戸村さんに助けを求めたが、ただ笑顔を返されただけだった。

 女の子の話を黙って聞くしかなさそうだ。

 「葵の膝もう治るの」

 葵ちゃんっていう名前なのか。

 花の名前だ。

 葵ちゃんが言葉を溜めてたのは、どうやら悪い沈黙じゃなく良いほうのだったみたいだ。

 「な、治る。なにが? 膝がなにかの病気なの?」

 戸村さんが車イスの車輪にロックをかけると、今度は助け船をだしてくれた。

 「葵ちゃんの膝は人面瘡じんめんそうっていう魔障なんです。パレイドリアってご存知ですか?」

 「パ、パレイドリア? それもなにかの魔障ですか?」

 「膝を見てください。ここと、ここと、ここ。それにここ」

 戸村さんは葵ちゃんの膝の窪みを順番に指さした。

 なんとなく人の顔に見えてきた。

 「パレイドリアっていうのは壁のシミが人の顔に見えたりするあれです」

 「あ~!! あ、あれに名前があったんだ。知らなかったです」

 「覚えておくと今後なにかの役に立つかもしれませんよ?」

 「わかりました」

 「これもうすぐ治るの」

 葵ちゃんはさっきと同じ言葉ながら、心の底からの笑顔を見せて、自分の膝を指さした。

 『怪怪ケケ…………』

 うぉぉ!!

 ひ、膝から声がした、な、謎の奇声が……けど、力なくものすごく弱弱しい。

 葵ちゃんの四つの窪みのひとつから、そんな声が聞こえた、その声はちょうど口にあたる部分からだった。

 窪みが上下に動いて、ほんとうに口を動かしてるようだ。

 「世の中にはパレイドリアに似た、アヤカシもいるから気をつけてくださいね? 油断してると壁に食べられたりしますよ?」

 ――本当? 俺がそう口にするより早く、葵ちゃんがそう言った。

 いままでひまわりのような笑顔だったのに、一瞬でドライフラワーのように暖かみが消えた。

 葵ちゃんは明らかに怖がってた。

 戸村さんは――うそ、うそ、そんなのいない、いない。と声をかけながら、俺には悪びれたように頭をさげた。

 俺は思った。

 葵ちゃんが怖がるから、嘘ってことにしておいて。そんな意味の挨拶だろうと。

 「よかった~」

 葵ちゃんは、ふたたび安堵の表情を浮かべてる。

 枯れた花にふたたび色が戻ったようだ。

 「ここの診察室の只野先生はこの葵ちゃんのような症状。つまり人面瘡じんめんそう剥離術をY―LABと共同開発して救偉人の称号を授与されたんですよ」

 「えー。スゲー。救偉人」

 「人面瘡は根の張りかたが複雑で深いと動脈に巻き付いたりするんです。そこを根にいく養分を遮断して乾涸ひからびさせた状態から、人面瘡を剥がす方法を考案なさったんです」

 「さすがは救偉人の先生!!」

 「それによって苦痛から解放された人も多いんですよ。いまでは世界共通の標準治療に採用されていますし。剥がすときは驚くほど痛みがないんです」

 只野先生ってさっきの病み憑きの先生だよな。

 そうやってひとつの発明が多くの人を救うんだ、そりゃあ救偉人の勲章ももらえるだろうよ。

 俺があげる側なら絶対に贈るし。

 歴史的にもそういう発見や発明で人は救われてきたんだよな、たとえばペニシリン、日本初の全身麻酔手術を成功させた花岡青洲はなおかせいしゅう、あの人は奥さんの視力と引き換えにしたんだよな。

 これもぜんぶ学校で習ったことだ、日本史、世界史ふくめて誰かの犠牲に現在いまがある、アンゴルモアのときとすこしだけリンクした。

 「葵ちゃんの人面瘡ももうすぐ剥がせそうなんです。葵ちゃん、あとすこしの辛抱だね?」

 戸村さんはそう言って、葵ちゃんの頭をなでた。

 「うん。葵、頑張る」

 「只野先生もうくると思いますので、もう、しばらくお待ちください? よかったら彼女さんも診察室なかどうぞ?」

 「か、彼女じゃないです」

 さっきから、みんなで彼女、彼女って

 「そうなんですか。一高の制服と二高の制服でカップルなのかと」

 「まあ、うちは彼女でもいいアルよ」

 寝てなかったのか。

 エネミーは眠そうに目を擦ってる。

 瞼も半分以上、下がってるし。

 頭が壁側に寄ってる。

 首がギュイーンってなってる……幼児だな。

 「そ、それはいろいろと問題が……ある……かと」

 とりあえず誤解されないように否定はしておく。

 否定しなければ寄白さんにコールドスプレー攻撃をくらうことになる……ってなんで寄白さんの名前がでてくるのか。

 「じゃあ私たちは病室に戻りますので、失礼しますね」

 戸村さんはそう言って、車輪のロックを解除して車イスを回転させた。

 間際に――お兄ちゃん。金色のお姉ちゃん。バイバイ!。と葵ちゃんは手を振った。

 「ばいばい」

 「ばいばいアル」

 その顔からは希望が見えた。

 車体から発するギシギシという音とタイヤのキュルキュルという音は、戸村さんが葵ちゃんを乗せてきたときと同じなのに、心なしか軽く感じた。

 それは乗る人の心の重さなのかもしれない、せめて小さな子供が罹患かかる病気だけでも、この世から無くなればいいのにと思う。




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