第114話 診殺室(しんさつしつ)

これからどんなに痛い目にあうのか? これからどんな苦しいことがおこるのか?

 これからさきの生活は? 治療費は? 仕事を休めない。

 闘病中は悩みが尽きることはない、その悩みだけで入院患者の気は滅入る。

 闘病だけにすべての思考を注ぐことも許されない、誇大とも言えるマイナスの想像力は人を追い込むのも簡単だ。

 近衛は院内を病院と感じさせないようにシャレタ造りにした。

 非日常のなかに日常の余韻を残すため、いや、日常に帰る目標のために。

 それでも生まれる負力はとめどない。

 院内の奥まった場所にひっそりと円型の分厚い扉があった。

 【警告:関係者以外の立ち入りを禁じる】

 注意書きとともに、三角形のなかにエクスクラメーション・マーク、この区域に危険があることを知らせている。

 人は黄色と黒の配色を見ると無意識に警戒する。

 このマークはいわば他者に対する思いやりでもあり危険回避への提示でもある。

 扉の円には大きくバツ印が描かれている、が、よく見るとそれは切れ目であり四分割されていることがわかった。

 扉の右上方部にはコンクリートブロック二つほどの大きさのスピーカーがあった。

 スピーカーから横に約二十センチ、真っ赤な警告灯が音もなく回転している。

 九条は扉の真ん前に燦然さんぜんと立った。

 赤い光は一定間隔で九条の顔を照らしている。

 『九条先生。よろしいでしょうか?』

 「ああ」

 『第一ゲート開放します』

 備え付けられたスピーカーから女性のサンプルボイスがもれた。

 ブシュー。と扉の前、まるで水蒸気が爆ぜたように空気の抜ける音がした。

 扉のバツ印は、円のなかにある四つの扇形を連想させる。

 扇はガシャンガシャン。と重い音を立てながら、それぞれ単独で上下左右に素早く開いた。

 最初の進入したのは赤色灯の赤い光だ、九条は光速のあとを追って、足を前に最大限開く。

 それほど足を広げなければ、扉の境目は跨げないということだ。

 九条は金属の壁に囲まれた無機質な部屋に足を踏み入れていた。

 いっさいの繋目が排除された空間は、あらかじめあった大きな金属をただ繰り抜いただけのようにも思える。

 『第二ゲート開放します』

 「うん」

 九条は手を上げ合図する。

 この場所でも危険を知らせる赤色灯が高速回転している。

 クルクルと回る赤がいっそう危機感をあおっている。

 『第二ゲート開放。及び第一ゲート閉鎖』

 ふたたび出来合できあいの女性がそう言った。

 九条は第一ゲートと同じように、分厚い境目を潜り抜ける。

 鈍色の金属部屋をたんたんと進むと、九条の目に金属製プレートが映った。

 【警告:能力者以外の立ち入りを禁じる。一般の方が進入した場合、生命の保障はできかねます】

 九条は目を鋭くして、その文字を右から左へと黙読した。

 たとえなにかの間違いで一般人が、ここに入り込んでも能力者以外の人間は引き返せという警告である。

 プレートを見つめる、九条の後方で大きな音が鳴ると、第一ゲートは大袈裟とも言える異音を上げて閉まった。

 九条は、一度足元を見て呼吸を整える。

 ひやりとした金属の壁には、あまり似つかわしくない、等倍で増える目盛りの測定器があった。

 それは気圧計だ。

 そとの世界よりも随分と減圧された部屋で九条はふたたび息を吐く。

 『第二ゲート閉鎖』

 九条の後方で水蒸気のような音をたてて扉が閉まった。

 四つの扇が円になる振動が九条の足を伝う。

 『最終ゲート開放します。九条先生。最終ゲート開放後、すぐに診殺しんさつお願いします』

 九条は黙ってうなずいた。

 その動きを合図に目の前の壁は、機械仕掛けで四方向へと開いた。

 『最終ゲート開放』

 九条の眼前には広大な闇が広がっている、そのさきはまるで冥府であるかのような漆黒。

 真っ新な白衣さえ黒く染まる闇のなかへ九条は平然と飛び込んでいった。

 『最終ゲート。封鎖ふうさします』

 九条の背後の扉が閉まる、そこには細かな梵字がびっしりと描かれていた。

 真ん中には大きく“封”の文字があるが、この闇のなかでは誰も判読することは不可能だ。

 とっぷりとした暗闇だけが存在している。

 九条が足を踏み入れたのは、此岸しがんの境界線を越えた、彼岸ひがんとも言うべき場所。

 地の底から亡者の叫びが聞こえる。

 闇に蠢くモノは獲物を待ち構えていたかのように、人間の気配のするほうへと近づいてきた。

 不気味になにかが這いずる音がしている。

 ズズズ、ズズズ、それ音は九条との距離を縮めていく。

 「魑魅魍魎ちみもうりょう。随分溜まったな?」

 九条はあくまで冷徹に状況を見極めた。

 表面は真っ黒で四肢頭部を持つ人の形をしただけの黒い塊は、すでに九条の前方に集合している。

 数十体のいや、それ以上の魑魅魍魎はいっせいに九条へと歩み寄ってきた。




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