第110話 ナイトメア・リフレイン

九条は言い返したこともたくさんあったが、諸々の事情を飲み込んで、冷静に気持ちの折り合いをつけた。

  医者という職業柄モンスターペイシェントに当たることも多く、冷静に受け流すことを心得ている。

 「ええ。むしろ今回のことで十年前の解析部の落ち度の可能性が色濃くなりました」

 九久津が心を許しはじめた矢先、九条のなかに当局の影がちらつくと、九久津にはふつふつと反抗心が生まれる。

 “医師”の下に“役人”があるという言葉の意味が、九久津のなかでていをなさなくなってきていた。

 九条もそんな九久津の変化をいち早く察知する。

 「まあいまのキミなら、自然な考えかた……かな……」

 九条は小さく息を吐くと、どこか顔が強張っていたかもしれないと思って、意識的に表情筋を緩めた。

 「三つめ。バシリスクが自分から進行してきたわけではなく、何者かに引き寄せられた可能性についてはどう思いますか?」

 九条はそこから言葉尻のニュアンスを弱めて、極めて穏やかに接しはじめた。

 それはまるで聞き分けのない患者に向かうようだった。

 「引き寄せられた?」

 予期せぬ質問に九久津の感情が急速に冷めた。

 九久津は心のどこかでまだ論争がつづくのだと思っていた。

 それが自分の知らない事象によってバシリスクが日本に上陸したことに驚きを隠せず興味の対象が逸れていったのだった。

 「ええ。解析部隊の解析ではその線が濃厚だということです。急激な進行速度の変化と路線変更をかんがみて、そう結論付けたそうです」

 「それについてはまったく心当たりがありません。解析部の解析は本当に正しいんですか? ますます疑いたくなります」

 「僕がはっきりと答えます。解析部の能力を見くびらないでください。彼等は、0.0000パーセント以下という緻密な世界で計算してるんです。さらには“想定外”さえ“想定内”にしています」

 人をアヤカシから守るため、日々を捧げる職業人の矜持のために、九条ははっきりと告げた。

 つまり職業人のなかに医師業を邁進まいしんする自分がいるということだ。

 「でも俺は納得できません」

 「そうですか」

 九条はふたたび話を飲み込んだ。

 ここでの論争はやはり得策ではないと考えたからだ。

 自分の言いたいことを一言は告げた、だから九条のなかで決着はついていた。

 これは“働く人すべての代理意見”を提起したということである。

 九久津と九条、二人の心は接近と離反を繰り返す。

 「まあ解析部のことはいったん置いておきましょう」

 「……はい。わかりました」

 九久津は大人でもないが“一般の高校生こども”でもない。

 九条の意思を読み解き多少の素直さを見せた。

 九久津に去来するものは解析部の汚点どうのこうよりも、結局はバシリスクへの憎悪だった。

 バシリスクを倒した、まもなお、九久津に暗い影を落としつづける。

 「バシリスクが不可侵領域を経由してきたことは?」

 九久津の耳に追い打ちして新しい情報が入った。

 「不可侵領域を? いえ知りません。そもそも不可侵領域とはなんなんですか? 俺たちは一般人も含めて、むかしからあそこには絶対に近くづくなと言われて育ちました」

 「不可侵領域とは負力の溜まり場です」

 「負力の溜まり場ってそのままじゃないですか?」

 すこし前のめりになった九久津の呼吸に乱れが現れた。

 規則正しく吐き出す循環のなかに――スーハー。とときどき早い呼吸が混ざっている。

 興奮のためだと思った九条は気に留めない。

 この呼吸の仕方はときに憤怒ふんぬと呼ぶこともあるからだ。

 「ええ。ただし不可侵領域に溜まる負力は市内発生の負力も含みますが、世界中の負力も集まってきます」

 「世界中?」

 「そうです。世界と言ってもすべてはひとつです。世界中でも大きな負力がうねり地球上を対流しています。六角市の不可侵領域は世界中からの負力が合流し、各国それぞれの性質が混ざるため、それがどんな反応をするのかはっきりとは解明されていません」

 「なるほど。俺はどこかで区分けされてると思い込んでいました。だから各国に、対アヤカシの組織があるんだっ……た」

 九久津は自分に言い聞かせスクラップ記事をまとめるように頭のなかで整理する。

 「まあ各国それぞれ独立しているように錯覚しますけれど、各国それぞれ世界の安寧あんねいのために組織を運営しています。もっとも自国を守ること、それが延いては世界のためになるということですけど」

 「そう……です……よね」

 九久津の呼吸がさらに乱れた。

 明らかに肩と背中で呼吸をしているようだった。

 九条もそこにわずかに注目する。

 「ただボクの同期の見解だと六角市の不可侵領域には、地下つまり風穴ふうけつが存在し、そこにも負力が流れているかもしれないと考えていました」

 「地下にも……。そういう地形だってことですか? 同期って医者ですか、それとも役人ですか?」

 「国交省の役人です。最近六角市にきてたんですよ」

 「あっ、あの死者反乱後の結界強化のときに?」

 「そうです。近衛ってやつなんですけど。見かけたことないですか? オールバックで面長のやつ。九久津さん大丈夫ですか? さきほどから呼吸が乱れてますけど」

 やはり不可解な九久津の体調の変化を気遣う九条。

 「だ、大丈夫です。お、俺は会ったことはないと思います」

 (きっと、沙田が会った人だ)

 「大丈夫ならいいですけど。それでは最後の質問に移ります。これはとても重要なことです」

 九条は九久津の正面に向き直して膝に手を置いた。

 ゆっくりと目を見つめる。

 釣られるように九久津も目を合わせた。

 「当局が一番訊きたいこと。それはキミが悪魔と本体契約したのか?」

 ――……。九条はもったいつけるような間をあけた。

 「していないのか? ということ」

 そう言ったとき、九条は九久津の表情の変化を見逃さないように注視していた。

 九条は職業柄、意図的に魔障の原因を隠す患者と日常的に触れ合っている。

 たとえば、九久津のように【毒回遊症ポイゾナス・ルーティーン】の患者などがそれに当たる。

 そんな嘘を見抜き適切な処置を施すのもまた医師の仕事だった。

 「いいえ。してません」

 肩で息をする九久津は、首を真横にふって、即座にはっきりと否定した。

 「そう、です……か。九久津さん大丈夫ですか? やはり体調が……」

 「だ、大丈夫です」

 「もうすこしで話は終わります。悪魔と契約していたと仮定すればバシリスクを引き寄せることも可能だと思うのですが?」

 「やっぱり俺を疑ってるってことですね?」

 「いいえ。便宜上べんぎじょうの聞き取りです」

 「魔契約まけいやくをすればそれはできると思います。それに俺は召喚憑依能力者なので疑われるのも仕方ないとも思います。ただ、俺は神に誓って悪魔と契約はしてません」

 「わかりました。これで質問は終わりです」

 九久津のこの答が九条のなかで疑念を強めた、本来の九久津ならば理論立てで反論をしてくるはずだと。

 それは九久津が魔契約をしているのかどうかの疑念ではなく、どうしてこんな突っ込まれるような回答をしたのかということだった。

 今回は――神に誓って。という極めて抽象的な言葉で己の潔白を証明しようとした、九久津の答えとしてはあまりに稚拙だった。

 「はい……」

 九久津はこの質問を受けているあいだ、しばらく視線を九条の青いスクラブに集中させていた。

 (青い悪夢。俺はあの日……)

 九久津のさらに呼吸が乱れ様子が一変した。

 もはや肺で呼吸するというよりは、体全体で呼吸しているようだった。

 ゼェゼェとした喘鳴ぜんめいがつづく。

 「青……青……蒼い」

 「九久津さん大丈夫ですか?」

 九条は同時に、医師の視点でも九久津をていた、途中で九久津の容体が急変すれば、それは思考を妨げる理由になるからだ。

 体調不良は、質問に対して思考放棄する原因としてはありえることだった。

 これがさきほどの九久津の稚拙さに繋がったのだと思い、九条はすぐに医師の顔つきに戻る。

 九条が“医師”の下に“役人”があるということを実践したことを九久津は知らない。

 これ以上の追及は【毒回遊症ポイゾナス・ルーティーン】の治療の妨げになる可能性をはらんでいるため、今日の質問はここまでにする決意をした。

 本当は最後の質問の最後・・まで質問をしかたかったのだが、ここで追及をやめた。

 「随伴症状ずいはんしょうじょうか? なんの影響だ」

 「蒼褪めた夜だった。あの日は」

 「あの日? ごめん。ちょっと脈を」

 九久津の首元に手をあてる九条。

 「あ、蒼い夜」

 九久津の口からノイズのような呼吸音がする。

 「蒼い夜? フラッシュバックか? 戸村さ~ん。ちょっといいですか?」

 九条は大きく頭を振りかぶって、ドア越しに声をかけた。

 緊急事態であるがゆえに、患者にそれを悟られまいとあくまで穏やかに戸村を呼んだ。

 こんなときに、狼狽うろたえるような医者に、誰が信頼してその身を預けるのかということだ。

 「えっ、あっ、はい」

 戸村がザッとカーテンを開くと慌てて顔をのぞかせた。

 金属トレイに乗せられた、緊急用の治療キットを両手で抱えている。

 九久津は乱れた呼吸のまま――蒼。と呟きつづけた。

 (ざーちゃん。俺は恨んでなんかいない。むしろ感謝してるんだ。うちからでてったのは、俺のせい・・なんだろう)




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