第107話 カルテ:病名1 【呪詛による。右上肢(みぎじょうし)の化石化(ミネラリゼーション)】  病名2 【ポイゾナスルーティーン(毒回遊症)】

 

 「はい」

 九久津は九条の表情を確認しながら頷いた。

 「九久津さんの現在の魔障は顆粒層止まりです。この分なら新陳代謝の早い若者だし、あと一週間ほどで自然治癒します」

 「本当ですか?」

 「ええ」

 (俺の証明は失敗……か……。バシリスクを完膚なきまでに叩きのめす。それが俺の証明だったのに……。机上の空論は……空論のままか)

 「いまはまだ、つっぱったり動かしにくかったりすると思いますが、あくまで皮膚表面ですでの日常生活でこれ以上悪化することはありません。もし、ご希望であれば、動きをスムーズにする軟膏なんこう処方しますけど」

 「いえ。自然に治るのを待ちます」

 「わかりました。ボクは正直苦痛を緩和する目的以外で自然治癒に処方す薬はでしかないと思ってますから」

 九久津は九条のとある言葉に反応し顔が険しくなった。

 「……」

 九久津は言葉につまりながらも――はい。とうなずく。

 だがどこか後ろめたさを感じさせた。

 九条がカルテを閉じてそっとデスクに置くと、九久津の顔を見ながら、医療知識と能力者の知識の両方をもって推論を語りはじめる。

 「バシリスクは閉ざされた亜空間・・・のなかでは、九久津さんには勝てないと悟ったのでしょう」

 「えっ?!」

 九条の言葉は九久津にとってまったく予想外だった。

 バシリスクがあの状況で勝負を投げたとは到底思えなかったからだ。

 (アイツがそんな早くに勝負を捨てるはずがない……)

 「ですので九久津さんの利き腕にまとを絞ったと考えれば合理的でしょう」

 「先生それはどういうことですか?」

 主体的な立場にいる九久津ゆえに、九条の意図に辿りつけなかった。

 「獰猛さでは、アヤカシの上位に入るバシリスクですが、戦闘時はどうでしたか? バシリスクなら荒々しいまでの猛攻をしかけてくるはずです、が……」

 「いや。アイツはジワジワと追いつめてくるような感じでした。なりふり構わずに襲ってくるようなことはなかったです」

 「粗暴そぼうなバシリスクが必要以上に攻撃してこなかったのは、視線によって九久津さんを石化させる攻撃に切り替えたということだと思います」

 「あれは兆発の睨みじゃ……な……かった……のか……」

 九久津は、その言葉を自分に言い聞かせながら、極度に落胆した。

 (アイツの視線から目を保護まもるなら、まず百目を召喚して、そこにぬりかべが正解か。いや、やまびこで視線を反射させればアイツ自身を石にすることもできたのかもしれない? だとしても硬度が足りない……か。ならゴーレムを……けどアイツ自身の視線がアイツの皮膚を通るか……? くそっ!! どのみち後の祭りだ)

 「自覚があるんですか?」

 「ええ。あの戦いでなんどとなく眼を合わせましたから」

 「そうですか。バシリスクは九久津さんの利き腕を封じて、やがて全身を石化させることに徹底したのだと思います。それがバシリスクじしんにとっての唯一の勝機だと思ったのでしょう」

 「アイツが、あんなにらすようしてたのは、そういうことか」

 「……だと思います。過去の文献や論文にもバシリスクの第二攻撃の選択肢は眼石がんせき能力だと、はっきりでていますから」

 「なら、俺は負けていたかもしれない」

 「ええ、その可能性もあります。誰にも告げずに単独で上級アヤカシに挑むことは医者としても、当局の人間としても感心しませんね?」

 「先生はいま医者の立場ですか? それとも厚労省やくにんの立場ですか?」

 九久津は、九条の目を見つめ、非礼ひれいと知りながらも、そう訊ねた。

 「僕は、白衣を着ているときは、いかなる理由があっても“医師”です。他所よそに秘密を漏洩もらすことはありません。たとえ、キミが体内に毒を蓄積させていたとしても」

 九条のその言葉の最初と最後では、口調のニュアンスがまるで違っていた。

 「……」

 九久津は、ほんの僅かなあいだ沈黙した。

 「やっぱり……医者ってすごいですね?」

 九久津は九条の問いに肯定も否定もしなかったが、どこか観念したように、そう言った。

 「ええ。ボクは命を救うプロですから」

 「このさき毒をめるとどうなりますか?」

 それは九久津の自白ともとれる言葉だった。

 「ボクの知っている症例、まあ召喚憑依能力者と限定してですが、無差別に悪魔を召喚し自滅。キミも知ってると思うけど“魂”がなければ、転生もかなわない……」

 さらに九条は一呼吸おいた。

 「いまのキミに病状をつけるならこうです」

 九条はデスクに向かい、白衣の胸ポケットからペンをとるとサラサラと走らせた。

 手の動きが多く、長めの文字を書いているとわかる。

 九条の腕が止まると、九久津の目の前でカルテを広げた。

 【呪詛じゅそによる。右上肢みぎじょうし化石化ミネラリゼーション

 【毒回遊症ポイゾナス・ルーティーン

 「とくに毒回遊症ポイゾナスルーティーンは、キミ次第だけど、今後重篤な状況になる可能性を秘めています。劇症化げきしょうかすれば人間体のままブラックアウトすることも頭に留めてください」

 「そうですか」

 (俺が、あのとき腕を制御できなかったのは魔障この影響なのか? それとも……。なんとなく体を乗っ取られたような気も……する……)

 「ただ、ボクにはひとつ安心材料があります」

 「安心材料?」

 「ええ。キミが毒回遊症ポイゾナスルーティーンになった動機です」

 「動機?」

 「はい。キミはバシリスクを倒す。ただ、それだけのために毒を飲んできたはず。今回その目的を果たした以上、これからさき毒を飲む必要はない」

 九久津の顔から、すこし笑みが零れた。

 それはなにかの呪縛から解き放たれたような爽やかさだった。

 「そっか。先生にとってそれだけの材料が揃えば、推理するのも簡単ってことですよね?」

 「ええ。わりと」

 「先生の言うとおりで、俺にはもう毒を飲む理由はないです」

 「では、毒回遊症ポイゾナスルーティーンの治療をしましょう。一朝一夕で治る症状ではありませんけど。……自分の身体に毒を蓄える呪法は古来からありました。たとえば蠱毒こどくで勝ち残ったむしのみを食べたりするという方法などです。ですので毒回遊症ポイゾナスルーティーンは、魔障においてわりと一般的な疾病しっぺいといえます。ただ九久津さんの場合毒の性質が、すこし厄介かもしれませんけれど」

 九条の話しかたが、ふたたび柔らかくなった。

 「先生。俺はどんな代償を払ってもいいと思って毒を飲んできたんです。目的を果たしたいまはどんな治療でもします」

 そう言った九久津は憑き物が落ちたように晴れやかな顔した。

 「それにこれからは美子ちゃんのサポートをしながら、友達の沙田と、そして雛ちゃんとこの街をアヤカシから守りたいと思います」

 「前向きな心構えは、体の免疫力を高めます。それに人を守りたいという想いは、ボクも同じです。なにより人の心まで救うのが、本当の医者だと思ってますから」

 ――いずれそのとがに喰われるがいい?

 バシリスクの言葉が九久津の頭を過った。

 (俺の咎とは毒を携えた体のことか? アイツがその程度のことを言うわけがない。脅しにもならない……)




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