第105話 内部

 いくつもの大きな窓が、幾筋もの太陽光を迎え入れている。

 清潔な壁紙の廊下に、燦々さんさんとした木漏れ日が射し込み、室温をポカポカと暖めていた。

 だだ、すこしクレゾールのニオイが混ざり合うと、途端に病院のなかだとわかる。

 それを裏付けるように部屋の前には、等間隔で消毒用ハンドジェルが備えつけられていた。

 二条は大きな個室のある廊下を悠々と歩く、そこでとある病室の前で歩みを弱めた。

 ゆっくりと首を傾けて足を止めた、なかに誰がいるのかもわからないドアをじっと眺める。

 (VIPの病室か。アフターエフェクト……)

 「こんにちは~」

 ピンク色のスクラブの看護師が、二条にかるい会釈をして足早に通り過ぎた。

 忙しなく歩く女性に向かって――こんにちは。と挨拶を返すが、すぐに看護師の背に声をかけた。

 「あの、すみません」

 「はい?」

 とっさに振りかえった看護師は、その場からでも愛想よく笑みを返した。

 いつ、どんなときでも、この笑みを求められるのが看護師だ。

 「社雛はいまも?」

 「あの、そういう個人情報は……」

 看護師は断りの口調だったが、二条の右胸につけられた”MK”のバッジを見た途端に口調が変化した、と同時に表情も引き締まった。

 優し気だった顔つきが、どこかに消えていた。

 「すみません。当局のかたですか。ええ、雛ちゃんはまだ……もっと詳しいことが知りたければナースセンターで伺ってください」

 看護師はどこかかしこまり、途端に、当局といち看護師との距離感になった。

 目に見えない、上下関係がすぐに形成された。

 「あっ、いいのいいの」

 二条は否定の意味を込めて、左右に手を振ったあと申し訳なさそうに苦笑いをした。

 どことなく、高圧的だったと自省したからだ。

 「ちょっと気になっただけだから。それに専門的な魔障のことを聞いても、私はなにもわからないから。呼び止めてごめんなさい」

 「いいえ。とんでもありません」

 最敬礼ほどのお辞儀をする看護師。

 「あなた。魔障専門担当ナースなのね?」

 「はい。そうです。でもどうしてそれを」

 「この病院には魔障の患者しかいない。なにより“社雛”の存在を知っていた。さらにはVIPが入院するフロアを行き来している」

 「さすがは当局のかた。仰るとおりです」

 「あの、九条に、今度のしんさつ・・・・は、私がやっておくって伝えてくれないかしら?」

 「えっ、九条先生にですか? わかりました。九条先生いつも忙しそうなので助かると思います。では失礼いたします」

 「ありがとう」

 一礼した看護師の胸には戸村伊織とむらいおりというネームプレートがあった。

 オーダーメイドですこし高級感のある真新しいプレートに、二条は視線を移す。

 「えっと。戸村さん?」

 感謝を込めて、名字を呼んだ二条。

 「はい」

 声をだした、戸村は凛とした顔になった。

 「よろしくね」

 「はい。きちんと伝えておきます。それでは失礼いたします」

 戸村はふたたび歩きだすと、すれ違う患者すべてに声掛けをしていく。

 小さな女の子の患者には――あおいちゃん。あの、お花、きれいでしょ?と自分の目線を落として話しかけた。

 テラスの外に咲くピンク色の花を見る女の子。

 パジャマ姿の女の子は、小さくうなずくと、まるで花が開くような笑顔に変わった。

 「うん」

 「あの花は立葵タチアオイっていうのよ」

 「きれ~い」

 不安を押し殺すように、廊下を歩く女の子を笑顔にさせた戸村。

 自然と看護師の務めを果たしているようだった。

 それは直接的な看護ではないかもしれないけれど、立派な心の看護だ。

 「そうでしょ。それにね葵ちゃんと同じ名前だよ」

 「へ~」

 『怪怪怪怪怪怪ケケケケケケ。葵。オマエは、もっともっと苦しむんだ』

 女の子が発したとは思えない邪悪な嘲笑がした。

 「……」

 女の子の表情が瞬く間にかげると、無言のままで自分の右膝に手を当てる。

 戸村は女の子のパジャマのズボンを、膝辺りまでそっとめくりあげた。

 膝には小さな窪みが四つあり、その配置が目、鼻、口で、人の顔のように見える。

 「残念だけど葵ちゃんは来週末には完治するのよ。最新の魔障医療をみくびらないでくれる? 人面瘡じんめんそう剥離術なんて、もう、そんなに難しい魔障じゃないんだから」

 戸村は、葵の膝と会話をしている。

 『怪怪怪怪怪怪ケケケケケケ。葵。もっと、苦しませてやる。苦しめ。怯えろ』

 膝の窪みのなかで一番大きな穴が動くたびに、葵は不安に襲われた。

 「……」

 「いい加減にしなさいよ」

 葵は小さな体を震わせながら戸村のスクラブを強く掴んだ。

 怯える、葵の頭をなでる戸村。

 小さな手までも震えていた。

 「Y-LABワイラボの研究も、魔障医療も日常医療も日進月歩なの。葵ちゃん心配しないでね。こんな変な顔、先生たちと一緒にやっつけようね?」

 「うん。葵。がんばる」

 『怪怪怪怪怪怪ケケケケケケ

 「葵ちゃん。絶対・・に大丈夫!! 絶対・・に治るから」

 「うん」

 二条は、そんな光景を微笑ましく眺めたあとにそっと歩きだした。

 (ここは本当に優秀なスタッフが揃ってるのね。医療従事者が”絶対”なんて言葉“絶対”に言っちゃいけないのに。職業生命をかけてまで患者の不安を和らげるなんて。これが当局にいる、私に欠けているものなのかもしれない……)

 フロアをオレンジ、グリーン、ピンクなどファッショナブルなスクラブの看護師はカルテのようなものを小脇に抱えて足早に歩いていく。

 二条は、その様子をチラリと見ながら、礼を返しては足を進めた。

 (そう言えば、社雛があの怪我の前に心血注いで調べてたのって……確か。シリアルキラーのデスマスク。まっ、関連があるとも思えないけど。でもバシリスクが現れた日も、黒い絵画の忌具を見たって、六角市の教育委員会経由で報告書を送ってきてたのよね……。六角市で忌具がチョロチョロ動いてるのは間違いない)

 二条は頭のなかで、いくつものピースを埋めながら、まるで竜が大きく口を開けたような連絡通路へと入っていった。

――――――――――――

――――――

―――




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください