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第210話 流麗(りゅうれい)

「さすがにビビったアルよ~」

 ぬりかべの後ろで身を縮めてたのはエネミーだ。

 なんだかんだで、あそこまで凶暴なアヤカシに遭遇するのは初めてだろうし。

 そうなるのもしかたがない。

 てか、エネミーの能力発動してんのか、ちょっと浮いてるけど……。

 ビビったら浮くのか?

 エネミーは身を屈めたままで校長の側に歩み寄る、いや歩んでない。

 飛んだってことにしておくか飛翔能力で。

 ぬりかべはモナリザとエネミーの間で緩衝材かんしょうざいとして常に盾となってる。

 エネミーは校長のもとまで行くと、服の袖をツンツンした。

 「繰。あれおっかないアルよ」

 「そ、そうね。でもみんなもいるし。それにぬりかべが守ってくれてるし。ねえ、エネミーちゃん、そのあざっていまぶつけたの?」

 校長はエネミーの太ももの裏を指さした。

 エネミーはエネルギッシュに動くから、そんな痣のひとつやふたつあるんですよ校長。と俺がここから言っても届かないだろう。

 「これアルか?」

 「そう、その太ももの裏の痣よ」

 「これはもっと前にぶつけたアルよ」

 「そうなんだ。気をつけてね」

 校長はそう言ってエネミーを軽く抱き寄せた。

 エネミーは――わかったアル。とうなずく。

 二人の前で二体のぬりかべは連結して一枚の壁のように、二人をまとめて護衛するポジショニングに変えた。

 「ぬりかべに助けらたアルな」

 「そうよ。九久津くんの召喚能力のおかげ」

 「九久津は良いやつアルな。グミもくれたし。蛇の護衛もしてくれるアルし」

 「それが九久津くんなのよ」

 なんだか九久津、褒め合い合戦になってる。

 モナリザの標準体だったら、エネミーもまだそんな驚かなかったかもな。

 ただ、いきなりブラックアウトはさすがにきつい。

 顔って言っても……もはや目、鼻、口はないし。

 人の形もしてない、ほんとアヤカシって呼ぶのにピッタリだ。

 社さんは人の形をした小さな紙を指で挟むと、トランプをシャッフルするようにしてから空中に放り投げた。

 花が散るように宙にその紙が舞う流麗りゅうれいな仕草で。

 流麗、まるで社さんのためにあるような言葉……。

 流麗……そんな表現を俺は使ったことがないけど思ったことはあった。

 ……なんだ、この言葉って国語の授業で習ったっけ?

 ――流麗って雛ちゃん・・・・っぽいね、これ一昨日、国語の授業で習った言葉なんだけど、さっそく使ってみた。

 この想いもなかのヤツ……国語の授業・・・・・って、学生なのか?

 俺と歳はそう変わらないのかもしれない。

 しかも俺のなかのヤツは社さんを知ってる、いや九久津に対してもときどき感情が変化するし校長に対してもそうだ……いったいどういうことだ。

 ――それってどんな意味ですか?

 えっ、社さんの声が……再現VTRのような感覚。

 誰かの思い出を見てるような、いや聞いてるような。

  ――流麗って雛ちゃん・・・・っぽいね、これ一昨日、国語の授業で習った言葉なんだけど、さっそく使ってみた。

  ――それってどんな意味ですか?

 俺のなかのヤツと社さんとの会話が成立した。

 これはいつかあった出来事なのか?

 なかのヤツはいつか社さんとこんな会話をしたことがあるってことか。

 それとも【啓示する涙クリストファー・ラルム】にはこんな症状があるのか。

 赤い涙を強制的に透明にするなら、それなりの代償を払う必要があるのかも。

 結局、薬ってそういうとだよな。

 あっ、くそっ、いまはモナリザのほうに集中しないと。

 {{六歌仙ろっかせん喜撰法師きせんほうし}}={{土}}

 ……ん……気のせいか?

 社さん、ほんの一瞬だけどもたついたような。

 ふつうの人間じゃ感知できるかできないか程度だけど。

 ってそこに気をとられてる場合じゃねーな。

 社さんも必死に戦ってるんだ。

 モナリザの周囲はレンガを積むように土がどんどんと重なってく。

 それはまるで冬囲いのようで、モナリザはもう土のなかに埋まってた。

 たぶんこれでモナリザのトゲは封じられたはずだ。

 弦を突き破ってくるほどの威力でも、これだけ分厚い土に囲まれてたら、さすがにトゲは飛ばせないだろう。

 俺がほんのわずかにそのモナリザから注意を逸らしたときだった、その土の塊の後方から、ふたたびトマトを裏返した物に無数の針金はつけたような頭部の物体がバタバタと足音を響かせて走ってくるのが見えた。

 なっ?! どうして?

 その足音はさらに増える、ヤバっ、二体、三体、くそっ、まだいるのか。

 四体、五体。

 土に囲まれたモナリザ含めて、ぜんぶで五体か。

 マズいぞ、この状況は。

 美術室からブラックアウトしたモナリザが四体も迫ってきてる。

 九久津は床を蹴り左右の壁を交互に蹴って、天井で体を旋回させた。

  {{シルフ}}

 ちょうど伸身宙返りの逆立ちの状態で九久津はアヤカシを召喚した。

 俺が声をだすよりさきに九久津が反応してた。

 九久津の初動、早えーし!!

 唇がペリっと鳴ったこんなに唇が渇いてる、よっぽど焦ってたってことか俺。

 九久津が廊下に着地したとき、もう風は通り過ぎたあとだった。

 {{野衾のぶすま}}

 九久津が召喚した大きなムササビのようなアヤカシは、その体を膨張させ、そのまま廊下を飛んだ。

 空気を抱えるようにしてフワフワ宙を泳ぎ、美術室の前にスタっと降りると、体を膨らませて、空きっぱなしの美術室の入り口を塞いだ。

 なるほど、モナリザの出口を封鎖すんのが手っ取り早いってことね。

 いま、でてきた四体だけじゃなく、さらに増えるかもしれねーしな、名案だ。

 九久津の召喚した風はじゃなくもやのようになってまだ、辺りを漂ってた。

 けどその靄は前方にいる寄白さん、社さんを明らかに避けてる。

 クリアだった靄はじょじょによどんでいった、靄が黒い。

 いや、黒い風だ……あんな技、初めて見た。

 いままで九久津が使った風のカマイタチは空気を具現化したように白い線だった。

 ……ん?

 四体のモナリザの動きが鈍った、いや硬直してる?

 しかもビクビク痙攣けいれんまでしてる、って思ってる場合じゃねー。

 {{ツヴァイ}}

 {{ドライ}}

 この隙を有効活用しないと、九久津がくれたチャンスだ。

 




第209話 ふたつの机

「いきなりかよ!!」

 寄白さんが叫んだと同時に、社さんは宙を縫うように両手を動かした。

 ドアが無造作に廊下に落ちる、下にマットなんてないからモロにリノリウムと衝突した。

 ――バタン。という音ともに埃が舞う。

 社さんはそっちに構ってる暇なんてないんだろう、見向きもせずに、ふたたびを空気を縫った。

 ネットのように張り巡らせた弦は、意思のある生き物のように社さんの前にあった。

 なにかの魔法陣を縦にして掲げてるそんな感じだ。

 弦の端からブラックアウトしたモナリザを囲んでいく、四方八方を塞がれてモナリザはそのまま包まれていった。

 「うそっ?! 美術室からいきなりブラックアウト体のモナリザが飛びだしてくるなんて。みんなこれからはいままでの常識は通じないかもしれないわよ」

 ついさっき九久津が言ったことを校長も言った、九久津のときとは比べられないくらい慌てた口調だけど。

 それだけイレギュラーな状況ってことだ。

 モナリザは絡まった弦のなかで体をバタつかせてる。

 弦のなか脱出口を求めてるんだろう。

 底引き網のなかでもがくようにしてその体を蠢かせてる、弦のあちこちがボコボコと膨らんでは縮むを繰り返してる。

 あの凹凸がモナリザが暴れてる場所。

 あれっ、なんだ?

 急に焦りが湧き上がってきた、気づけば俺は手を振って叫んでた。

 この手の動きは、その場を離れろのジェスチャー……俺の意思とは別の意思による反射的な動作だった。

 「社さん、寄白さん、すぐ離れて!! 九久津、防御系のアヤカシを早く!!」

  {{重複召喚ちょうふくしょうかん}}≒{{ゴーレム}}

  {{重複召喚ちょうふくしょうかん}}≒{{ぬりかべ}}

 俺の合図にみんなが反応してる。

 寄白さんと社さんは後方に飛んだあと、二人同時に驚いたままで俺を見てた。

 社さんの前方と寄白さんの前方は、より網目の細かいネット状の弦が盾となって円錐状の小さいトゲを防いでた。

 ふぅ、俺が叫ぶ前に社さんも防御策をとってたか。

 九久津は召喚したあとに俺の言葉に――ああ。と答えた。

 要するに俺の言葉に返答する時間さえ惜しんでアヤカシを召喚したってことだ。

 二体のゴーレムは寄白さんと社さんをそれぞれを覆うようにして守ってる。

 その背にも黒いトゲがいくつも刺さってた。

 あのトゲはモナリザが放ったものだ、社さんの弦を突き破ってきたのか……。

 もうすこし遅かったらと思うとゾッとする。

 俺の目の前はぬりかべが守ってくれてる、そして校長とエネミーの前にもそれぞれぬりかべが護衛のように立ってた。

 九久津がそれぞれに合うだろうアヤカシを選んで召喚した。

 九久津だけはなんのアヤカシを召喚することもなく無防備なまま、おとなしくなったモナリザを見据えてる。

 袋状の弦には無数の穴のあいてた、その穴の個所だけトゲが飛んできたってことだ。

 九久津は生身なまみのままでトゲを全部かわしたのか?

 壁や天井にはモナリザが九久津に向けて放ったトゲが刺さってる。

 でも今回のモナリザのトゲは直線で飛んできたわけじゃない、寄白さんと社さんの前にいるゴーレムの背中にトゲが刺さってるのがその証拠だ。

 いくつかのトゲは曲線を描いて飛んできてる、確実にヒットさせようとしての攻撃だ。

 モナリザはトゲをランダム軌道で飛ばしてきてる。

 でも九久津はすべての軌道を見切った上で俺ら全員の防御系のアヤカシを同時召喚させ、自分に飛んできたトゲを”防ぐ”ではなく”かわす”を選んだ。

 九久津、おまえはいくつのことを考えて、何個の動作を同時にしてんだよ?

 資料で読んだ【九久津毬緒は召喚・憑依能力者のなかでも天賦てんぷの才を持つ。】

 ただそれを目の当たりにしてるだけか。

 九久津がいて助かった~。

 九久津は不思議そうに俺を見て――助かった。と笑顔を見せた。

 その――助かった。は――みんなを助けられて助かった・・・・。って意味だ。

 いやいや、俺も助けられたけどな。

 俺の前にいるぬりかべの全身にもモナリザの頭部から飛んできたトゲが無数に刺さってる。

 ……ブラックアウトしてるから、そのぶん絵画のときよりも凶暴性や攻撃力が上がってるんだろう。

 だから社さんの弦の網をも突き破ってきた。

 なにかが甦ってくる、あっ、最初のモナリザとの戦いで俺が廊下に机を置いたのって……あれは別の誰か意思だ。

 あれって言ったほうがいい。

 あのとき俺は意外と机が軽いことに気づいた、だから、もう一脚を持ち上げて廊下に置いた。

 机の数は多いに越したことはないって機転は俺のなかにいるモノの判断だ。

 いまの咄嗟とっさの判断もその感覚に近い。

 でも俺は、いま戦闘において確実にレベルアップしてきてる、なんだかなかのモノと戦闘パターンが一致してきた気がする。

 それは俺を導いてくれてるような。

 気がするというより俺がそうなっていってる……一体化っていえばいいのか。

 只野先生が言ってた良性って意味がわかる。

 「沙田くん、ありがとう」

 社さんの背中越しにその言葉がきこえてきた、なんだか感謝されちゃったな。

 「ああ、うん。気にしないで」

 「やるな。さだわらしのくせに」

 寄白さん――くせに。ってなんだよ。

 社さんはまた宙を縫うように手を動かした。

 たとえこの隙にまたトゲを飛ばしてきても、ゴーレムが反応するはずだ。

 {{影縫い}}

 モナリザは弦に包まれたままの状態を維持しつつ、足元をバツ印に編まれていった。

 正確にはモナリザが立ってる真下にバツ印の縫い目ができてる。

 これでヤツは歩行という意味では進むことはできない……でもこの技って初め見たんだけどな……俺は効果を知ってる。

 「雛の能力。中国の道士という戦士の戦闘方法も入ってるからね。道士は中国の固有アヤカシ殭屍キョンシーとの戦闘を得意としてた」

 校長が言葉で説明してくれた。

 ああ、そうだ、俺は今日だけでもいろいろと学ぶことがあった。

 九久津はリッパロロジストやダンパーについても教えてくれたし。

 やっぱり放っておかれてるわけじゃない、その都度、いろんな人が俺に知識を授けてくれてる。

 それになかのヤツも内側なかから戦いかたを教えてくれてるんじゃないか?

 そんな気がした。

 これを追い風って言うんだろう。

 最初のモナリザは天井のサーキュレーターと九久津の風で倒したんだっけ。

 風を味方につけると強いな。

 




第208話 モナリザ 2nd バーサス

 俺たちは寄白さんと社さんのいる場所に向かってる。

 と言っても、もう二人の姿は視界に入ってた。

 校内でも四階はやっぱり不気味だ、ピアノの音がよけいにそれを感じさせる。

 それと不思議なことに今日の四階は、小銭というか古銭が一定の間隔で散乱してる。

 それこそ俺のデコにヒットした和同開珎や寛永通宝もある。

 でもそれは社さんの厭勝銭ようしょうせんだとすぐにわかった。

 九久津は最後尾にいて首を小刻みに振って全方位を警戒してた、いつもながら安心感がある。

 たぶんもう四階の現状は把握してるはずだ。

 エネミーは校長の腕にしがみつくようにして甘えてる、誰にでも自然になつけるのはある種、才能だよな。

 赤ちゃんがハイハイして、誰かに寄ってくのにそっくりだ。

 そんな感じだから誰も警戒心なく受け入れてしまうんだ、昨日、会ったばっかりなのに俺はだいぶ振り回されたぞ。

 それでもイライラするなんて感情はない。

 「繰、うち五センチ飛べるようになるアルか?」

 「できるわよきっと。ご、五センチなんて言わずに十センチ。ううん二十センチ。い、いえ、空上まで飛翔べるように頑張りましょうよ」

 「それはだいぶバイブスヤベーアルな?!」

 「バイブス?」

 「そうアル」

 そりゃあ校長も混乱するよな。

 いきなりバイブスって言われてもな。

 「それはなに?」

 「お腹あたりがゾワゾワってなるアルよ」

 「そ、そ、そうなの。サージカルヒーラーの私にはちょっとわからない感覚かな~。で、でもきっとそれはエネミーちゃんだけに理解できるものだから、いずれ飛翔能力を自分のモノにすることに役立つんじゃないかな」

 「そうアルか?」

 「うん。エネミーちゃんは飛翔能力が適正だから、その、なに――バイブスヤベー。ってなることに惹かれるんじゃない? ちょ、ちょっと言葉が難しかったわね。ようするにエネミーちゃんの好きなことが、いずれ自分の能力に転化されるって、あっ、これも難しいかな。まあ、いまは好きなことをめいいっぱい楽しめばいいのよ」

 「ほ~繰。良いこと言うアルな。じゃあうちは楽しいことだけするアル」

 「そう、それでいいの」

 校長の言葉がエネミーに通じたみたいだ。

 楽しいことだけってパリピかよ。

 寄白さんと社さんは深刻そうに美術室の前に立ってる。

 部屋の前には蜘蛛の巣のように社さんの弦が張り巡らされてた、あれが社さんの能力……。

 廊下にたくさんあった古銭は美術室の前にはない、周囲を見渡すと各教室の前には和同開珎や寛永通宝、それに見慣れない古銭、数枚が一ヶ所にまとまって置かれてる。

 こうやっていくつかのパターンを作ってたのか。

 だから亜空を飛んできた古銭のセットで、どの部屋の前から飛んできたものなのか判断できたんだ。

 和同開珎や寛永通宝の二枚だと美術室に異変があったってことになるのか。

 俺たちがパフェを食べに行く計画の合間に、社さんはこんな下準備をしてたんだ、校長が前もって頼んだんだろうな。

 寄白さんの顔がいっそう険しくなった、いまなにか話しかければ、ぶん殴られるに違いない、それほど真剣だ。

 だが、ここでまた、ある疑問がわいた、だから九久津が俺の側にくるのを待って訊く。

 「なあ、九久津、寄白さんなら今日も四階のアヤカシの出現予測できたんじゃないのか?」

 「予測ってのは段階の変化に気づくこと」

 「……ん? じゃあ、今回は途中がないってことか?」

 「美子ちゃんが気づけなかったってのはおそらくそういことだ。もっとも最近はアヤカシの様子がおかしいから、いままでの経験なんて意味をなさなくなってきてるのかもな。経験則が役に立たなくなるってのは結構マズい状況だけどな」

 たいていの物事もそうか。

 段階を経て移り変わってく起承転結って言葉もあるくらいだし、でもそれがすぐに”起”から”結”にいけば当然、段階はわからない。

 寄白さんは壁の打診音のわずかな違い、空気の気圧の変化でアヤカシの出現予測をするんだから途中の段階・・・・・がないと予測不能なのは当たり前か。

 あっ?!……なにかがくる、それが気配でわかった。

 俺もようやくなにか・・・の気配を読むことができるようになってきたみたいだ。

 蹴破けやぶるように飛んできたのは美術室のドアだ。

 そのドアはサッカーのゴールネットに吸い込まれるように、社さんの弦にうずまった。

 社さんの張った弦はその威力すべてを吸収してて、ドアが蜘蛛の巣状の弦に絡まってる。

 本当に蜘蛛の巣に吊るされた蝶みたいだ。

 そう、あの日もこんなふうだった、でもあのときはまだ絵画・・・・と同じ姿で……それからブラックアウトした。

 でも、いまの……その姿……やっぱ途中をすっとばしてる、段階が省略されてる。

 トマトを裏返した物に無数の針金はつけたような頭部。

 黒い服で裸足のそいつは、目の前にいる社さんをターゲットにしたようだった。

 




第207話 「優等」と「劣等」

 「あれ、九久津どうした?」

 「ああ、あとは雛ちゃんの弦次第だから」

 そっか、あとは社さんの行動でつぎをどうするか決めるのか。

 ってなんだかんだ、九久津が先頭きって安全を確かめた上でこっちに戻ってきたんだろうな。

 いや、後方のエネミーまで気を使ってんのかも、九久津はいつも視野が広いから。

 あるいは最後にくるだろう校長にまで目を配ってるのかも?

 始点から終点まで、自分で状況を把握したいってことなのかもしれない。

 寄白さんと一緒のときだって、いつも周囲を気にかけてるし。

 「なあ、九久津。劣等能力者ダンパーって日常で使う言葉?」

 「いいや」

 九久津が首を振った。

 「劣等能力者ダンパーって能力者おれたちのあいだでは劣等能力者って意味で使ってる。自分をさげすんだり、卑下する、あるいは謙遜するときにも使う言葉。だから使用者がどういう意図で言ってるのかを考える必要がある。言った相手と対面してる場合は日本人なら、なんとなくその人がどんな意図で言ってるか理解わかると思うけど」

 「へー。ちなみにダンプの意味は?」

 日本特有の言葉のニュアンスね。

 ああいうのって日本で育ってなきゃ絶対わかんねーよな。

 「いくつかあるけど”投げ捨てる”や”ゴミ”って感じかな」

 「ああ、それがダンパーになったってなんとなくわかったわ。劣等能力者の隠語的なものか」

 「そんな感じだな。ただ俺たちは、この会話で細かい意味までわかるけど、文字だけならどんな意図なのかを判断するのは難しいだろうな」

 「だよな」

 ダンパーってそういう意味だったのか。

 わからないことがあったら訊いて、ひとつひとつ新しい言葉とかを覚えていけばいいよな。

 九久津はすぐに教えてくれたし、やっぱ、俺は放置されてるわけじゃない。

 「うちは本当の劣等能力者アルからな」

 エネミーのその言葉には自分を卑下するような感じはなかった。

 ただ、日本でよく言う”ポンコツ”みたいな言いかたに近いと思う。

 そしてそこにコンプレックスを含んだような要素も感じられなかった。

 う~ん、卑下と謙遜のどっちに分かれる?かと言われれば謙遜のほうか。

 ――そんなことないわよ。エネミーちゃん。

 校長も遅れてようやくやってきた。

 卑下と謙遜……日本の文化の――つまらない物ですが。の贈り物みたいなことだな。

 日本語ってムズいよな。

 外国の人が――つまらない物をどうして贈るの?って言いたくなるのも無理はない。

 「でも繰」

 エネミーが校長に駆け寄った。

 「ううん。あなたはそのままでいいのよ」

 「そうだよ」

 九久津も同意しながら、天井のサーキュレーターの間隔を確認してる。

 「地球上のほんのわずかな人間が能力者として開花する。けどね沙田くん、美子、九久津くん、雛のように実戦で使える能力者っていうのは、そのなかの一部の人間なの」

 校長のその言葉に驚かされた。

 そ、そんな希少だったんだ実戦向きな能力者って。

 周りがみんな、そんな能力者ばっかりだったから気づかなかった。

 てか近衛さんなんてとてつもない能力ってことか、六角市の結界を操作してるんだし。

 いや当局の能力者ってそういう人だから当局に居るんだろう。

 「能力者で言えばサージカルヒーラーの私だって劣等能力者ダンパーよ。堂流の足ひっぱってばっかりだったし」

 「繰さんもそんなことないですって」

 九久津も校長を思いやる、ここにいるみんなは優しい人たちだ。

 校長の言葉は、校長自身が謙遜してエネミーも自分と同じ立場だってことを言ってるように思えた。

 つまりは、いまのままで十分だって意味だ。

 「えっ、でも」

 校長はそう言ってエネミーの横に並んだ。

 エネミーも校長に体を寄せる。

 「だって真野絵音未との戦闘のあとに治療してくれたのは繰さんですよね」

 九久津はそう言って、俺たちの後ろの様子を確認してから、百八十度体を翻した。

 そうなんだよな、あのときは当局の救護部隊がきてたと思ったんだけど、校長が治療したんだった。

 俺はそれを九久津の家に行く途中のバスのなかで知った。

 「でも九久津くんも知ってるでしょ。サージカルヒーラーの正体を。もしも本当に傷を治癒できる能力なら私だって多少自信を持てたかもしれない」

 正体? どういうことだ?

 だってサージカルヒーラーって治癒能力者のことなんじゃ。

 「治癒能力には変わりないですよ」

 「ううん。意味合いがまるで違うわよ。だってサージカルヒーラーは対象者の自然治癒力を活性化・・・・・・・・・させるだけの能力だもの。あの死者の反乱で傷を治したのは美子本人であって、九久津くん本人だから」

 えっ……そ、そうなの?

 ってことは完璧な治癒能力者じゃないってこと?

 言葉から察するにサージカルヒーラーは怪我をした人、自身の自然治癒を早めるような効果……血行促進的なことか?

 さっき寄白さんが俺にやってくれたようなコールドスプレーでの応急処置に近いのかも。

 じゃあ、ざーちゃんが俺の腰を治したんじゃなくて、俺自身の自然治癒力が俺の腰を治したってことになる。

 只野先生の魔障医学でも能力者はふつうの人間の肉体とは違うって言ってたし。

 身体能力が飛躍的にアップしてるなら治癒力もアップしてるはずだ、この話の流れからするとそういうことだよな。

 「それでも細胞を活性化させることのできる能力者が【サージカルヒーラー】じゃないですか?」

 「でも、もし私が能力を選べるなら【オムニポテントヒーラー】を選ぶわよ。だってヒーラーの最上級能力者で万能の治癒能力者なんだから」

 オムニポテントヒーラー……。

 ヒーラーの上級職みたいな力か、それが本当の意味でのヒーラー。

 俺はその疑問を校長と九久津に訊ねた、すると想像通りの答えが返ってきた。

 サージカルヒーラーは自然治癒を促進させるような力で、オムニポテントヒーラーは例えば臓器の復元ようなことまでできる能力のことらしい。

 が、そのオムニポテントヒーラーは稀な能力者のなかでもさらに稀な能力者だということだ。

 九久津でさえ、本物のオムニポテントヒーラーには会ったことはないという。

 相当レアな能力者だな。

 




第206話 劣等能力者(ダンパー)

 

 

 

 四階に着くと俺たちの目の前を、背筋をピンと伸ばした綺麗な姿勢の人体模型が走ってった。

 そのさい俺ら一人一人に一礼してく、学生なら真面目な生徒って感じだ。

 すこし遠くからは――ダンダンダンダン。と低いピアノの音が聞こえてくる、あっちには音楽室がある。

 【誰も居ない音楽室で鳴るピアノ】はまるで呼吸でもするように鍵盤を鳴らしてた。

 寄白さんは、人体模型が廊下の角を曲がるまで目を背けずに見てた。

 すこし傾いたポニーテールが寂しそうだ。

 前のやつとは違う……真反対だ、そもそもあいつは奇声あげて走ってきたもんな。

 あのときは驚いたけど憎めないし、愛嬌のあるやつだった。

 あいつも寄白さんの下僕感いっぱいだった、寄白さんにビビってたし。

 でも中身があいつ・・・・・・・だった人体模型はもういない。

 【七不思議その一 走る人体模型】、その名の通り廊下を走るためだけに存在してる。

 それは今回のやつも前回のやつも同じなんだけど。

 なんつーかそういう種族のアヤカシだから。

 でも中身は違う、なにもかも違う。

 死者の真野絵音未もエネミーもなにもかも違う……。

 寄白さんは前の人体模型になんだか強い思い入れがあるうようだった、俺が転入する前からの付き合いだったらしいし。

 バシリスクが出現した日、蛇によってブラックアウトさせられた人体模型を退治したことは知ってるけど、そこでなにがあったのか詳しくは知らない。

 ただ寄白さんだって、無暗にアヤカシを退治するって女子ではない。

 退治、封印、釈放を決める権限は寄白さんが持ってるから。

 ブラックアウトしたから退治した、その結果がいまの人体模型になったってだけだ。

 あの日の過程を俺は知らない、いや誰も知らない。

 蛇が人体模型をブラックアウトさせたかもしれないって総合的な判断なんだから。

 座敷童のざーちゃんだってアヤカシだけど、あの子に攻撃なんてできるわけがない。

 種族こそ違えどひとりの子供だ、アヤカシとの戦いは簡単じゃない、線引きが難しい。

 それこそ死者はどうなのか?ってことだ、エネミーは人間にしか思えない、いや間違いなく人間だ。

 でも、ブラックアウトした真野絵音未は確かにアヤカシだった、もしエネミーがあの日のようになったら俺たちは……いったい。

 俺は頭のなかを切り替えたくてテクテク歩いてるエネミーに目を向けた。

 まるでふつうだ。

 いまこの廊下を走てった人体模型に誰も驚かない。

 さすがにエネミーがなんか言うと思ったけど、俺たちがこういうこと・・・・・・・をしてるのを知ってた、そりゃあそうか、れっきとした死者であり、いまは真野家の娘なんだから。

 ……厳密な区別ならエネミーと人体模型は同じ種族ってことになる……。

 差別ってのはこんなきっかけからはじまることを知った。

 こんなふうに歴史のなかでも”差”が生まれてったんだろう。

 悪いけど、エネミーと人体模型が同じ種族なんて思えない。

 身近な者と、そうじゃない者、どうしたって身近な者に情がわくのは当たり前だ。

 それに外見……人はどんなに取り繕ったって、外見の違いに左右されてしまう。

 「沙田、おまえの技に名前つけたアルよ」

 「技って。俺の黒い衝撃派のこと?」

 「そうアルよ」

 「俺の技、知ってたんだ?」

 「話だけは知ってるアルよ」

 だって、エネミーはこんなにも人間らしい。

 「へ~。んでなんて技?」

 「暗黒物質ダークマター

 だ、暗黒物質ダークマターだと? 俺の技が黒い衝撃派だから、それから名付けたのか?

 「そうアルよ」

 「なんかそれっぽいな」

 「だからそれ使うアルよ?」

 「う~ん」

 考えてみたけど、とくに断る理由もないから、そうするか。

 「わかった。じゃあ、俺のあの技は暗黒物質ダークマターってことで」

 「大切に使えアル!!」

 なぜ上から目線、ってエネミーはときどき上からくる、そこに深い意味はないんだろうけど。

 これってポニーテールの寄白さんと似てるわ~。

 ここは使者・・に似てる……死者なのに、な。

 「そう言えば、死者にもなんか技ってあるの? てか能力者なの?」

 「うちは能力者アルよ」

 「マジで?」

 う、嘘っ、エネミーが能力者?!

 初耳だ、いや、まあ、まだ出会って二日なんだけどさ。

 ってまあ、死者が能力者ってのも当たり前な気もする。

 けど俺が驚いたのは、このエネミー・・・・・がって意味だ。

 よく考えれば、この四階の暗闇でふつうにしてるってことは、エネミーも夜目を使ってることだ。

 開放能力オープンアビリティを使えるのは能力者だけ。

 「そうアルよ。見てろアル」

 「えっ、あっ、ああ」

 どうやら、エネミーがここで能力を披露するらしい。

 「行くアルよ」

 「おう、おお。いいぞ」

 俺はエネミーの全身を眺めた、ここで能力が発動するらしいから。

 ……ん、どうなった、なにか変化あったか?

 なにも起こらないぞ。

 「エネミーどうなった? もうなにか起こったのか?」

 「よく見ろアル」

 「はっ?」

 「うちの足元アル」

 えっ?! エ、エネミーの体が浮いてる。

 い、一センチほど、だが。

 確かに靴の底が廊下から離れてる。

 「それでそれからどうなる」

 「これだけアルよ」

 「そ、それだけ? そ、それはなんの能力だ」

 「飛翔能力アルよ。でもうちは劣等能力者ダンパーアルからな」

 ダ、劣等能力者ダンパーだと、また俺の知らない言葉が。

 ダンパーとはなんだ?

 ダンパーって言うくらいだからダンプか? そもそもダンプってなんだ?

 車しか知らんぞ。

 てか、あの車はなぜダンプって言うんだ、これは思考の迷宮に入ったな。

 先頭を歩いてた九久津がこっち向かって戻ってきた。




第205話 厭勝銭(ようしょうせん)

 校長が料理を注文してから十分くらいで料理が運ばれてきた、それから数分間隔でほかの料理も運ばれてきて全品揃う。

 小さなパーティーみたいな雰囲気のなかで料理を食べた。

 もう、ここで夕食をすませたのと同じだな。

 ガイヤーンの正体はタイの焼き鳥で美味しかった、ただあの味じゃ大魔王感は皆無だ。

 それをなにかに例えろと言われても難しい……スパイシーくらしか言いようがない。

 寄白さんとエネミーは俺の横で男飯おとこめしとはなにかを真剣に討論してる。

 料理のメニュー表にそういう表記があったからだ。

 ”蛇”の話で頭を使ったから、いまはちょうど休憩みたいなもんか。

 「きっとメンチカツは男飯でしてよ」

 「HOMMEオムレツもそうアルな?」

 「ではHOMMEオムライスもそうですね?」

 「そうアルな」

 この”シシャ”二人はポンコツでもあり天才でもある……気がした。

 ポンコツの天才、あるいは天才的ポンコツ。

 しばらくすると自然にカラオケ大会になってた。

 ここはカラオケボックスだったんだとあらためて思い知る。

 アニソンを本気で歌い上げるエネミー、というよりエネミーのほぼ独壇場上だ。

 エネミーは歌が上手いという新発見があった。

 かたや寄白さんはというと蝙蝠こうもりが落ち、イルカが大海の逆サイドに行くような超音波(?)な歌声。

 下手というわけではない……が、と、特徴的な歌いかたをする。

 寄白さんは十字架のイヤリングを揺らして曲を歌い上げた、まだマイクがハウっててキーンって鳴ってる。

 エネミーと寄白さんは交互に歌を歌う、エネミーはときどき寄白さんからサビ泥棒するがそのまま盗ませてるようだった。

 エネミーはもう寄白さんから三サビをいただいたことになる。

 俺もほかのみんなもマイクを持つことはなく微笑ましく、二人を盛り上げた。

 この二人は、歌うという部分では真反対だった、そういう違いもあるんだな。

 今日は頭を悩ませる日でもあったけど、なんか充実した日に、っヴォフォッツ!!

 な、なんだ?

 デコにズルった感と頭がチーンってなるような衝撃。

 デコクラッシュのあとになにかの金属音がして、それがなんどか壁にぶつかって床を転がってった。

 ゴロゴロという音じゃななくコロコロコロコロっていうもっと軽い音。

 ソファーの下に潜り込んで防音壁の巾木はばきに当たりリバウンドして途中でコトンと倒れた。

 俺は椅子の下に入り込んだそれに向かって指先をめいっぱい伸ばし、爪のさきで何度か、すり寄せ拾い上げた。

 なんだこれ?

 五円玉のような形だけど中央はえんじゃなくて正方形の穴があいてる。

 色は五円の金よりももっと黒くてくすんでた。

 だがそれより目立ったのはその物のデザインだった。

 上下左右に漢字が一文字ずつある、これは四文字熟語? いや、違うな、これって。

 「わ、和同開珎わどうかいちん?」

 だからってわけじゃねーけど、一瞬、意識もチーン!!ってなったし。

 次元を超えて小銭が飛んできた、和同開珎って確か日本最初の流通通貨って日本史の授業で習ったな。

 なぜこんなものが?

 飛鳥時代からぶっ飛んできて、俺のデコにクラッシュ。

 千年以上前から俺に恨みを持つ者がこれをぶん投げ、約千年の時間をかけて俺にヒットさせたということか?

 あるいはパンゲアからのお届け物がいま届いたか?

 送り主は俺か? 俺が俺に送ったのか?

 社さんをはじめ、校長、九久津それにいまマイクを握ってる寄白さんの顔が一変した。

 エネミーだけはデンモクを手につぎの曲を歌う気満々だけど。

 みんなは俺を見てるようでいて、視線は俺が持ってるもの、そう和同開珎に向けられてる。

 そりゃあこんな物が突然、飛んできたら不思議に思うけどさ。

 それにしてもこれはいったいどこから。

 「いや、あの、これなんかどっかから飛んできたんだけど……それが俺のデコにってかこれ本物かな……? な、わけないか……レプリカかな?」

 本当に俺はこの出所を知らない。

 「雛さん」

 寄白さんの口調が変わった、アヤカシと戦うときのいつもの声だ。

 「私の厭勝銭ようしょうせん

 「厭勝銭って? この和同開珎のこと?」

 社さんに和同開珎をかざして訊いた。

 「そうよ」

 よ、厭勝銭? そんな単語はじめてきいた。

 けど、その和同開珎がなぜ俺のデコに、それにこの張り詰めた空気はなんだ?

 「厭勝銭って和同開珎の別名?」

 「いいえ。小銭を象った護符ごふの一種を厭勝銭と呼ぶの。だからお金というよりも、お守りと言ったほうがいいかな」

 「へ~こんなお守りもあるんだ」

 社さんの家って神社だからこういうお守りがあるのかも。

 えっ? 寄白さんが赤いリボンをほどいてる。

 えっと、それはつまり戦闘開始の合図ってこと?

 手際よく、ポニーテールに結び直したあとは十字架のイヤリングに触れて戦闘態勢に整えてる。

 じゃあ、よ、四階でなにかあったってことか?

 この小銭は社さんの能力になにか関係ある?

 「いまそれがここにあるってことは、瘴気に反応して亜空を通ってきたってことだから」

 社さんも若干慌ててる。

 「そうなんだ」

 結局この和同開珎の出所でどころは亜空の向こう側ってことか、やっぱり学校の四階。

 「みんな」

 校長のその合図には――行くわよ。そんな意味もあるだろう。

 なにも言わずに九久津が亜空を開く、この行動だけでわかる……アヤカシだ。

 校長が先陣を切ろうとしたところを九久津が手で遮った。

 「繰さんはここの会計をお願いします」

 「えっ? ええ、わかったわ」

 「だから一番最後に追ってきてください」

 九久津は校長を一番最初に四階へ行かせないようにした。

 ……そんな気がする。

 自分が先頭を行く、そういう意図だろう。

 その証拠に社さんにも、寄白さんにも一番最初に亜空間に入らせないポジション取りをしてる。

 四階に異変があったイコール、四階になにか危険なことがあるかもしれないってことだ。

 校長を遮ったのは、いま六角市でアヤカシと戦ってるのは俺らの世代だから。

 九久津が寄白さんと社さんよりも前にいるは、なるべく二人を最初に戦わせたくないから。

 とくに社さんは前に大きな怪我をしてるってのもあるだろうし。

 身を切るのは自分ってことか。

 九久津おまえはいつもそうだよな、どこか自分を犠牲にする。

 ヴォフォッツ!!

 ま、また俺にデコに……くそっ、俺のデコは賽銭箱じゃねーぞ。

 逃げるようにまた床をゴロゴロ転がってく小銭を手で覆いそのまま握りしめた。

 和同開珎のヤロー。

 掴んだ状態で指を一本、一本上げて拳を開いてく、また年代物の通貨で上下左右に漢字一字があった。

 だがそれは和同開珎とは違う、俺がいま握ってるのは寛永通宝かんえいつうほうだ。

 「えっと、これは寛永通宝だ」

 「雛ちゃん?」

 九久津は主語もなく、訊いた。

 能力者たちなら、これで理解しあえるってことか。

 「和同開珎のつぎが寛永通宝……ってことは美術室ね」

 社さんは視線をすこし泳がせてそう言った。

 美術室、やっぱ四階でなにかがあった。

 異変があれば社さんの能力に反応するんだから、これは紛れもなく戦闘の前触れ。

 と思ってるとなんか目の前が煙ってきた……きゃぁぁぁデコが、ひ、ひ、冷える。

 冷えるを通り越してなんか感覚がなくなってきたような。

 俺のデコがおかしくなったのか?

 ……ん? 俺の視線に見慣れたデザインの缶がある、こ、これはコ、コールドスプレー。

 「さだわらし。それで冷やしとけバカ」

 寄白さん、あれからいつもコールドスプレー持ち歩いてんのかよ。

 けど、これって俺の額の、ち、治療ってことだよな?

 デコが賽銭箱になったから。

 ついでになぜ、――バカと言われるのか……ってそれは簡単、下僕にさせられたからだ。

 「トリガーノズルだ。効いただろ?」

 保健室のときも思ったけど、そういう問題じゃないし。

 いまはノズルのこだわりはどうでもいいんです。

 コールドスプレーをCMのように掲げた寄白さんはすでに完璧なポニーテールで笑いかけてきた。

 「はい。効いてます」

 ――行くぞ。と九久津が一番最初に亜空に入った。

 そこに寄白さんがつづき、社さんも追う、よし俺も行こう、俺の横にはエネミーがぴったりついてくる。

 「うちも行くアルよ」

 「えっ、っと、まあ、誰も止めてないからいいんじゃないか」

 この場に置き去りにするのもな。

 校長はこの感じだと支払いなんかがあるから、あとからくるってことになるだろう。

 さっき九久津もそう言ってたし。

 校長は案の定、手の甲を振って、――行って。の合図をしてる。

 その言葉に甘えて俺は足を進めた、すこし前方では寄白さんと社さんの二人が小声でなにかの話をしてる。

 「雛。山田の可能性は?」

 「四階に侵入するにはまず能力者ということが必須条件。じゃないとあの扉は開かないからそれはないと思う」

 「そうだよな。放課後になっても私を尾行けてこないから校内で動いてるのかと思ったけど……」

 「たぶん山田自身かれの意思じゃないと思う」

 「じゃあ山田を取り巻くなにか。つまりはシリアルキラーのデスマスクの影響?」

 「おそらくね。だから今回のこととは切り離して考えたほうがいいわ」

 寄白さんと社さんは密接していまだに、なにか話してるけど内容はわからなかった。

 その二人の遙かさきを九久津が行く。

 ※

 




第204話 ボディガード

 一通り蛇についての論議を終えたころ、みんな自由に動き回ったせいもあって俺らはバラバラの位置にいる。

 エネミーもさっきりよは、ずいぶん落ち着いたようだ。

 昨日はなにくわぬ顔で――メガネ蛇アル。とかって言ってたのにあんまり事態の重大さに気づいてなかったのか。

 病み憑きの娘アスに対しても、すごい食欲だって驚いただけだしな。

 やっぱり子供と高校生の感覚が共存してるみたいだ。

 九久津は部屋の隅にいる社さんに気づいた。

 この視野の広さ、戦闘でも何度これが役に立ったか。

 「雛ちゃんは座らないの? ここ空いてるよ」

 九久津が自分の横の席をポンと叩いた。

 く、九久津、でも鈍い……心の視野をもっと広げない、と……。

 い、いや違うな、こと社さんに対してだけ例外適用だ。

 イケメンは社さんおとめの心知らず、しかも自分の隣って。

 だが、そんな隙がまた女子にモテる秘訣なのかもしれない……。

 「うん。ありがと。ちょっと美子と話してからでいい?」

 「あっ、いいけど」

 社さんはエネミーから寄白さんを引き離して手を引くと、部屋の角に行って声を潜めた。

 青い春すぎる。

 エネミーはここぞとばかりに九久津の横に座った。

 「九久津。九久津がいないときにうちが蛇と――こんにちは。したらどうすアルか?」

 「大丈夫だよ。俺は召喚憑依能力者だよ。それに適したアヤカシを召喚して護衛するから」

 「ほんとアルか?」

 「ああ。任せてよ」

 「これで夜眠れるアル。毎日眠れないアル。ちょっと寝不足アルね」

 毎日眠れないのはアニメの観すぎだからだろ。

 寄白さんと社さんあの二人の感じときたら、う~ん。

 教室のカーテン端のほうでこんな光景よく見るわ~。

 なに話してるかはまったくわからないけど。

 「美子、昨日クレアヴォイアンスでバスのなか見てたでしょ?」

 「なんのことでして?」

 「とぼけないでよ。私も沙田くんも美子の視線に気づいたんだから?」

 「あれは忌具が出現するついででしてよ」

 「やっぱり気になるんだ、沙田くん? エネミーに取られちゃうとか心配してたりするの?」

 「沙田さんはただの変態でしてよ」

 俺には聞こえないけど、まだ話してる。

 これは女子高生の大好物、恋愛話ってやつか?

 「あっ、そうだ」

 九久津はそう言ってなにかを思いだしたようにスクールバッグを開いてガサゴソしはじめた。

 その手にあったのは例のグミだ。

 バシリスクを倒しても、やっぱまだ健康に気を……あっ、でもなんかふつうのグミのような気がしないでもない。

 そのへんのスーパーとかでも売ってそうだ。

 前までのはどっかの特注品ぽかったのに。

 「九久津、それ食べたいアル」

 エネミーは目ざとく、九久津のグミを発見すると手のひらを広げた。

 だが、九久津は待ってましたと言わんばかりに、パッケージの切り目を横に裂いて広げた。

 ってことは今回のグミは新品か。

 「うん。いいよ。あげる。そのためにだしたんだし」

 九久津は袋からいくつかのグミをとりだして手のひらにのせ、エネミーに選ばせてる。

 「どれでもいいよ」

 「う~ん。どれがいいアルか」

 バスのなかではを丹念に種類を選んでたのに、けどあのグミってあんま味なかったよな、だから今度はエネミーに選ばせてるとか?

 子供は濃い味好きだからな、エネミーは頭を悩ませてる。

 さっきまでの不安そうな顔はもうなかった。

 お菓子でお子様の注意力を逸らしちゃおう作戦か?

 「この紫はなにアルか?」

 「たぶんブドウじゃない。ちょっと待って」

 九久津がパッケージの裏面を見て二、三行を指でなぞった。

 味のラインナップを確かめてる。

 「うん。ブドウ味」

 「じゃあ。ブドウをいただくアル」

 「どうぞ」

 「……」

 エネミーは無言で九久津の手のひらを眺めてる。

 な、なにがあった?

 「どしたの?」

 「赤いのもちょっくら・・・・・食べてみたいアル」

 ちょっくら、とはまたスゲー、ワードセンスだ。

 一個じゃ足りないってことね。

 「あっ、いいよ。これも食べな。これは、えーとイチゴ味って書いてあるけど」

 「でも、お母さんに他人だれかから食べ物を勧めらたら一個だけと言われてるアルよ。お母さんものすごい恐いアルよ~」

 そこは律儀に守るんだな。

 きちんとしたしつけがなされてる。

 「そっか。じゃあ沙田、これやるよ」

 「えっ、おう、ああ」

 ……ん?

 反射的に受け取ってしまったけど、これをどうしろと。

 九久津はそのまま俺の目をじっと見てる。

 なにかを言いたそうにしてるが、口を開く様子もない。

 まだ視線は合ったままだ、えーと、これはなんのか考えてみる。

 俺にくれたんだから、そのまま俺の口へ運べばエネミーがどうなるかってことか……あっ、そっか、なるほどね~。

 いつもながら機転を利かすな。

 「エネミー」

 俺はエネミーを呼んだ。

 「なにアルか?」

 「イチゴ味。俺からのプレゼント」

 「いいアルか?」

 「ああ、いいよ」

 俺はそう言ってエネミーの手にある紫グミの横にポンっと赤いグミを置いた。

 「俺がブドウ味をエネミーちゃんに一個あげた。そして沙田もエネミーちゃんに一個イチゴ味をあげた。これでエネミーちゃんはそれぞれから一個しかもらってない」

 「おお~!! ほんとアル。お母さんの約束は破ってないアル」

 俺はいつから九久津の声なき言葉を読めるようになったんだろう。

 すこし時間がかかったけど意図は伝わってきた、長年一緒にスポーツでもやってきたようだ。

 「みんな、なに頼む?」

 そう部屋中に聞こえる声で言ったのは校長だった。

 部屋の入口で壁にもたれて受話器を手にしてる。

 さっきまで受話器越しでなにか話してると思ってたんだよな~。

 校長は部屋ぜんぶを見渡したあとに――なんでもいいわよ。とメニューをヒラヒラさせた。

 さすがは株式会社ヨリシロの社長、太っ腹、い、いや太っ腹なんて言ったら怒られそうだ。

 腹は太くない代わりにむ、胸が太いというか、あっ、いや、気前がいいに訂正しよう。

 てか、ここで飲み食いしてもいいってことか。

 部屋の隅にいた寄白さんもこっちにきて、エネミーと一緒に喜びの声をあげた。

 そして二人はすでにエネミーが手にしてる三つ折りメニューを広げてコソコソ相談をはじめた。

 ――これがいい。あれがいい。というような声ももれてくる。

 エネミーの両頬がモグモグしてた、どうやらグミはまだ健在のようだ。

 「あっ、エネミーちゃん。みんなで分けて食べるから、ひとつだけじゃなくていいわよ」

 「わかったアル」

 校長も俺らのさっきのやりとりを見てたんだ……ってたぶん違うだろう。

 校長が気にかけるなら俺と同じく、九久津がまだ健康食品を食べてるのかどうか。

 けど今日のは判断に迷うな、バスのときはすくなからず体に良さげ・・・なグミだった、けど今日はフルーツグミで、完全におやつの部類だ。

 ちょっとは好転したと思えばいいか、急に習慣は変えられないだろうし。

 あるいは尾行けられてるって言ってたから、そのカモフラージュという可能性も捨てきれない。

 バシリスクに関することは、そうそう気軽には訊けない、でも俺と九久津の距離もさらに縮まってきたし追々おいおいだな。

 「アヒージョ、アクアパッツァ、 カプレーゼ、シュラスコ、ガイヤーン」

 寄白さん、突然、呪文? って思ったら食べ物の名前かよ。

 そ、そんなラインナップがあるのか?

 「これ、みんなで食べるアル」

 寄白さんとエネミーはなんの遠慮もなく校長に伝えた。

 だがその注文のなかのひとつは壁に貼ってある当店限定メニューの一品だった。

 ――あれ食べたくてよ。という、寄白さんの呟きは決意の呟きだったのか。

 てかグルメかよ? 今日は食ってばっかだな。

 しかも最後のガイヤーンってなんやねん!!

 新幹線と戦闘機と戦車がロボ合体して名乗りそうな名前だな。

 超合体ガイヤーン!! みたいに。

 あるいは大魔王ガイヤーン? ――我が名は魔王ガイヤーンなり。って

 「わかったわ」

 校長は寄白さんとエネミーのリクエストを正確に注文した。

 そんなオシャレ料理ここにあるんだ。

 ここカラオケだぞ?

 あっ、カラオケの横がイタリアンとかになってんのかも、Y-LABと国立病院みたいに。

 そのあと校長は俺や九久津、社さんにもなにか食べたい物はないかと訊いてきた。

 俺は特に注文する物もないから首を横に振った、九久津も社さんも俺につづく。

 エネミーは料理を待ってるあいだ自分の胸元を強調させて、巨乳への憧れを校長に語ってる。

 おい、おい、エネミー攻めすぎだぞ、ってまあ校長ならそれを理解できるだろうけど。

 エ、エネミーが校長に胸タッチしてる、うらやま、し、いや、なんでもない。

 昨日も只野先生にちっぱい治したいって無理難題言ってたっけ?

 けど型紙から治すったっていまさら無理だよな。

 だって、エネミーは和紙から産まれたんだから。

 




第203話 創世の神話 安定

 それからまたしばらくの時間ときが流れる。

 新約死海写本は書き終えた、このときの俺はもう俺だ。

 人と人との交流もはじまりつつあるようだった、俺はほんのすこし前に“火”を与えた、そしておこしかたと使いかたも教えた。

 人の驚きようといったらなかった。

 けれど、わずかなあいだにもう使いこなしている。

 知識の吸収力には目を見張るものがある、まあ、それはなんど目でも同じだ……いや繰り返すたびに学習能力は高まっているのか。

 人類は火によって無数の脅威から保護される、たとえば寒暖差、細菌汚染、闇夜での活動時間の延長など恩恵は数え切れない。

 本能的に火を使う理由を知っているのだろう。

 辺りを見回すともう小麦が風にそよいでいた、金色こんじきの穂は収穫を待っているようだ。

 また時間が進んでいく。

 そんなときにあいつはやってきた。

 八つの頭をしたがえながら、俺の前で中央の頭部だけが俺に問いかけてきた。

 ――運命。同じことだ。

 「違う」

 ――……よかろう。

 「オマエだって世界に不必要というわけじゃないんだ」

 ――どんなことになってもか?

 「俺がどんなこと言っても、オマエはオマエのやりたいようにやるだろう」

 ――当たり前だ。誰にも干渉されない。

 「俺にはそれは止められない。それがオマエの存在理由だからだ」

 ――いずれくるその日を待っていろ。

 あいつは重い体をうねらせて去っていった。

 人はあいつを見ても驚きはしない、それは抽象概念の一種、と捉えているからだろう。

 ただの畏怖いふの対象であり、命を脅かすような危険生物ではないという認識だ。

 それを証拠にあいつを壁画に書き残すらしい。

 俺のことも一緒に描いてもいいか?と訊かれたが断った、するとべつのなにか・・・を俺にくれるらしい、火をもらった礼だという。

 稲穂の実が揺れている。

 太陽が沈む間際の空とちょうど同じ色をしていた。

 繁栄を願うにはちょうどいい。

 猫じゃらしというしなに似た小麦が、絨毯じゅうたんのように整列して揺れている。

 猫……そう言えば、前回俺のことをと呼ぶ者もあったな。

 そんな壮大な畑を眺めていると、宿やどみが世界を回ってきた。

 「運命。これを」

 宿の手には大人の頭ほどの大きさの髑髏しゃれこうべが握られていた。

 ただそれはとても透き通っていて本来の骨よりも硬い材質のものだ。

 「……」

 俺は髑髏しゃれこうべを手に持った。

 ずいぶんな重さだ。

 そのまま角度を変えて見回した。

 これは……。

 「十三個のうちのひとつ」

 俺は宿に聞こえる聞こえないかくらいに言った。

 「では、前回のクリスタルスカルですか?」

 宿は俺の言葉をきちんと聞きとっていた、そのまま髑髏しゃれこうべに手をあてる。

 俺が持っているものは本当の髑髏しゃれこうべではなく、表面がツルツルの驚くほど精工に造られた水晶の頭蓋骨だった。

 「いつかのオーパーツわすれものだ」

 これが前回のクリスタルスカルものなのか、あるいはその前のクリスタルスカルものなのか、もしかするともっと前のクリスタルスカルものかもしれない……。

 「宿。それでどうだった?」

 「ええ。ずいぶんと安定してきたようです」

 「わかった。つぎは人に貨幣の概念を与えようと思う」

 「わかりました。運命によって人類は早く進化しますね」

 「ああ。こんかいはもっと早く進化の促進を図る」

 人々は、欲しい物があると別のなにかと交換して生活をしていた。

 それでも魚一匹に対して木の実十個などの価値ができあがっている。

 ただ、こんかいは丸い石・・・貝殻・・省略ばして、早めに貨幣という物を造ろう。

 辺りから――ドンドンという音がする、そこに口笛のような風を走る音が乗った。

 ほかに音色の違ういくつもの笛が重なっていった、それぞれがそれぞれに調和しはじめる。

 これは音楽。

 ――ドンドンとなにかを叩く音はリズムだったのか。

 このとき人はもうすでに音楽を奏でていた。

 これが雅楽ががくという名の音楽だと教えてくれた、こんかいもまた雅楽が生まれたということか。

 俺のために奏でてくれた音楽。

 律儀りちぎに火を授けた恩を返してくれた、俺はそこから”みやび”という一文字をもらった。

 そして俺が背負う俺の名前を決めた、運命雅さだめみやびそれが俺だ。

 雅楽という由来を帯びて、俺はいま”運命雅”となった。

 もう、いいだろう。

 俺は早巻はやまきの時間を捨てて、現在進行で歩んでいく、これからの一秒はただの一秒。

 時間の速度領域と同化する。

 ただしその代償に俺の力は軽減されて、人に馴染んでいくはずだ。

 「ひ」

 俺は目の前にいる人物にそう声をかけた、いや声をかけるつもりはなかった、ただ口からそう言葉がもれていた。

 その人はすぐに反応して振り向く。

 俺はあとにつづく言葉を自然に発していた――みこ。と。

 それは俺が運命雅さだめみやびになってから、わずか数年後だった。

――――――――――――

――――――

―――

 




第202話 創世の神話 黎明(れいめい)

 さあ、はじめよう起源から。

 いや厳密には起源でもなんでもない。

 回帰ループでも開祖はじまりでも再開リスタートでもない、分岐的回避エルセによる再編措置。

 ときが過ぎていく、また何百年が流れたのか。

 天に空が、地に足元が形成された……幅と奥行きと高さ、ホシのすべてが二次元から三次元へと変わる。

 平面と曲面、平面と立体すべての拮抗が解除されて調和する。

 「運命。わたくしも、お手伝いいたします」

 「宿やどみ。いたのか?」

 「ええ、時間ときのなかで、とあるにきました」

 「また創生のイブとしての役目を果してくれるか?」

 「はい。では摂理を決めます。そして必要なものを分けましょう」

 俺はぐるりと周囲を見渡した、原始大気げんしたいきも生成されたようだ。

 もやのなかに無数の粒子が散っている、環境もやがては整うだろう。

 「では、決めておいてくれ?」

 「はい」

 {{ラプラスの魔}}

 七つのラッパ……因果よってもたらされる結末は同じか。

 罪火つみびソドム。

 咎雷きゅうらいバベル。

 辜水こすいノア。

 神罰。

 重なる罪……また繰り返すのか?

 根本的な解決はオリジナル・シンげんざいをどうするかにかかっているのかもしれない。

 {{具現化インカーネーション:ラプラス}}

 小さな球体が空間にふわっと現れた、そこに横一線の切り目が入ると、上下に開かれた。

 分かれた、それはぐしゃっとたるんで上瞼うわまぶた下瞼したまぶたになった。

 瞼に挟まれた中央には、ギョロリとした瞳孔がある。

 生物の眼球が単体で宙に浮いている、これがラプラスの発露。

 「これは運命さだめ様」

 「ラプラス。頼みがある」

 「なんでしょうか?」

 「オロチの言う通り、終焉おわり間際まぎわに俺の記憶はすでにないだろう。でもそれは記憶を失くしているわけではない。積み重なる誰か記憶と横から付けたされていく誰かの想いだ。だから、オマエを引金トリガーポイントにする」

 「はい」

 「合図は用意しておく、そのときに俺の記憶を呼び覚ましてくれ」

 「承知しました」

 「ただ、その合図は一度だけではない。段階的だ」

 「はい」

 ラプラスは合意の意味で、一度、パチリと瞬きをした。

 「オマエの――《我々は知らない、知ることはないだろう》。という例の言葉、それが開始の言葉。しばらくすると俺は自分おれを取り戻す」

 「はい。承知しました」

 ラプラスは大きな瞳でありながら、球体すべてを使ってうなずいた。

 俺は宿に目を向ける。

 「宿。どこまでできた?」

 「空間・・気象・・治癒・・。これは同じグループです」

 「区分けはすべて任せる。……ただこれを放つのは紀元後だ」

 「いまはまだ紀元前ということでよろしいのですか?」

 「ああ。死海写本しかいしゃほんを書き記したときが開始だ」

 「のちの世では新約死海写本となりますね。これが人に伝わるのでしょうか?」

 「それでも残さなければならない。さあ、一ページ目、樹形図を書き上げて、それを創世そうせいの始点とする」

 「わかりました。こんどこそは」

 「ああ」

 ――こんどこそ。その言葉をなんど聞いたのか。

 宿はスタスタとできたばかりの地を歩いた。

 足元は確かに地を踏みしめている、宿は二又に分かれた鈍色にびいろの槍に手を伸ばした。

 「これはどうしますか?」

 「地上ができたということはロンギヌスの槍がさっているという事象、か?」

 「はい。そうなります。このままにしておきますか?」

 「いや、中心なかに埋めておこう」

 「なにかの意図が?」

 「意図があるのかどうかわからない」

 「……?」

 「因果律の逆算・・・・・・だ」

 「では、なにかの役に立つということでしょうか?」

 「おそらく」

 「おおせのままに」

 宿が槍の柄に手をかざすと、周辺はまるで朝日が昇るような金色の輝きを放った。

 パンゲアの大地・・・・・・・にキラキラとした光の飛沫しぶきが蝶のようにはばたいている。

 世界が希望で埋め尽くされるような予感、だが、すぐに空は真っ黒に染まっていった。

 太陽が顔を隠したからだ。

 それは絶望の報せにも思える。

 ホシの周囲を太陽が高速で回っている、いや、違うな、このホシが太陽の周囲を回っているんだった、自転と公転これはまだ不安定なようだ。

 宿は周囲の明暗など気にせずに、柄の上に手のひらを乗せると力を込めた。

 聖槍が――ズズズと沈んでいく。

 槍のさきが埋まって柄の長さが縮まっていく、ホシが槍を飲み込むと赤い雫が宿の周囲に広がっていった。

 




第201話 創世の神話 開闢(かいびゃく)

 ――運命さだめ……?

 鱗に覆われた、蛇ともりゅうともとれる頭部が俺に言葉を吐いてきた。

 うさぎであれば耳にあたる場所にツノがあって、その周囲にも剣山のように細かい突起物がある。

 冷徹れいてつそうな、赤い瞳と俺の視線がぶつかる。

 獣は喉の奥から深い息を放つ、その獣臭けものくさい風は剥きだした牙のあいだをすり抜けてきた。

 小さな木ならば一息で簡単に倒してしまうだろう。

 ただしここ・・に木々があればの話だ、が。

 見渡す限り木々ひとつ存在しない世界。

 虫、一匹の存在も許されない環境。

 「オマエはいつでも他者だれかカルマを背負いほだされる」

 喘息のような喘鳴ぜんめいと空気を振動させる重低音が語りかけてきた。

 口腔内は唾液で湿っていてヤケに赤みが目立つ。

 まるで朝日でも食い散らかしたようだ。

 さらに俺の目を釘づけにしたのは、その体の大きさだった。

 その巨体でしか丸太のような首は支えられないだろうな。

 「理解わかってる」

 「戯言ざれごとを。なんど繰り返せば気づくのだ?」

 異形の頭部は八つあり、そのひとつは人語じんごを習得していてスラスラと会話をつづける。

 ほか七つの頭も獲物おれに狙いを定めていて一点おれを凝視している。

 巨石きょせきのような体が合計八つの頭を支えている、それだけの体積があるのだから当然のことだろう。

 長い首をそれぞれ不規則に揺らして威嚇するように接近してきた。

 俺の顔の前でシューシュー鼻息を荒くさせると、獣臭い微風は、ふたたび俺の体をかすめていった。

 同時にクジラほどの大きさの尾を揺らす。

 ――ズッシーン。と重い音がする、そいつが動くたびに周囲の空気はピリリと委縮した。

 そいつの鼻のさきが俺の頬に触れる……いや触れているのかどうかはわからない、であることは、まだにはわからないから。

 けれど、きっとなんだろう。

 ここが寒いのか暑いのかもわからない、ただ、すこしさきに目をやると赤とだいだいが混ざり艶光つやびかりりしたドロドロの物体が噴きだしている、あれはマグマだ。

 俺があのマグマに触れることができるのかできないのかもわからない。

 あれは熱いのか冷たいのか?

 温度なんてのはそれぞれの個体によっての感じかただ。

 熱帯魚にとって適温とされる最大公約数的な温度は、摂氏せっし二十四度から二十八度。

 たとえば一度で生きる魚にとっての二十度台は死を意味する。

 逆説的に考えて、生存可能な環境下で測る温度を基準に、暑いのか寒いのか? 熱いのか冷たのいか?を判断しているにすぎない。

 世界が変われば融点も沸点も変わる。

 経験則から言えば、いまのこの状態は雲が蒸発するほどの環境……マグマは脇からピキピキと凍結しはじめた。

 いまはまだしょうがないか、灼熱も極寒も同類項としてある。

 いや、これは俺の速度領域の捕らえかただ。

 「それでも俺は……」

 俺は巨大な生き物の目下もっかで口ごもった。

 決意か逡巡のどちらかの選択を迫られているようだったから。

 前回あのときは失敗だった……のか……?

 「つくづく因果な運命だな。いや、オマエにとって“因果”も“運命”も同義か?」

 「ああ」

 俺はそう答えるしかなかった。

 「時間ときは不可逆だ。決してさかのぼるな」

 時間ときとは、ある点から点への流れ。

 ときは、点と点を結んだなかある一点。

 つまりときの連なりがときを形成すると言ってもいい。

  現在いま現在いまである、けれどこう思った瞬間にさえ現在いまは過去へと流れていく。

 もう何百年分を費やした。

 「理解わかってる。因果律じかんに干渉はしない」

 「オマエにそれができるとは思えんな」

 そいつは笑った、いや、そう見えただけかもしれない。

 でも確かに片方の口の端をニヤリと吊り上げている。

 ただ、俺にはそんな怪物の表情の見分けかたなど知らない、それでもわかってしまう、それが俺とこいつの因果いんがだから。

 ただ、それは前回までの関係においてだ。

 「つぎは、いったい、いくつの特異点とくいてんが集結するのだろうな? 【終焉おわり開始はじまり】そのとき、ふたたび相見あいまみえようぞ?」

 特異点は時間の支配から解放された存在。

 時間の強制力から、ゆいいつ解脱げだつできる者。

 「ああ。幾星霜いくせいそうを経てそのときにな……ただし、俺は終焉おわりを前提になんてしない。その眼で確かめろ」

 「未来永劫えいごうを願うか。ひとつ忠告しておいてやる。けっして望み通りの結果になどならん。七つのラッパが吹かれたのは七つの罪を犯しすぎたからだ。罪の洪水。罪の決壊けっかい。箱舟を沈没させるほどの大罪。あれには恐れいった」

 「きっと変えられる」

 「オリジナル・シンげんざいはまだ残っている。それを背負う者に繁栄などあるものか」

 巨大な生き物は、岩のように大きな目をギョロリと見開き、体躯を百八十度、ひるがえした。

 真横には二又ふたまわに分かれた鈍色にびいろの槍が刺さっている。

 ロンギヌスと呼ばれるものだ。

 ロンギヌスがどこに刺さっているのか、いや、刺さってさえいないのかもしれない。

 聖槍せいそうからはポタポタと赤い雫がしたたっている。

 「そうだとしてもオリジナル・シンげんざいは何度となくその中身を変えてきた。前回・・の罪を今回・・も被るとは限らない。その都度歴史ストーリーは変わる」

 「Y(時間)軸は消滅。Z(単位)軸は均衡を保ったまま。X(並走)軸は破損。X軸の残骸がこんかいのX軸にもくい込んでくるだろう。……中途半端な三点軸をどうするつもりだ?」

 「いまはまだわからない」

 「……まあ、いいさ。どのみち物語の最終章にオマエはまた、すべてを忘却の彼方へ消し去っているのだから」

 八つの長い首は俺に背を向けたまま扇状に広がって天を仰いだ。

 「それも運命うんめいだ。オロチ!?」

 俺がオロチと呼んだ、その怪物は振り返ることはない。

 ――ズズズ、ズズズ。と巨大な音をたてて歩いて行く、二本の足は前進を止めることはなかった。

 大きな山が動くがごとく、オロチは轟音をとどろかせたあとに咆哮した。

 高音域と中音域と低音域が混成した叫びが空気を破裂させる。

 東雲しののめがクレバスのように割れると天道が伸びてきた。

 暁の空に太陽が顔をのぞかせる。

 遮るものなく、すぐに橙色だいだいいろ後光ごこうは放射状に散った。

 地上に足元あしもとはなく、天空に空もない。

 昼夜ちゅうやもなく、右も左もない、東雲しののめがどこにあって天道がどこにあったのかも、もう定かじゃない。

 産れたばかりの朝が目覚める。

 刹那も永遠も変わらない。

 産声うぶごえの代わりに燦々さんさんと陽射しが降り注いだ。

 遙か遠くの遙か近く・・・・・・・・・白色矮星はくしょくわいせい超新星爆発スーパー・ノヴァを起こす。

 日光と月光の境界線もなく、光は延々と降りつづけた。