未完のマリア-偶像崇拝-

 あがめる対象がすこし違う、発端はそんなことだった。

 それが何十年とつづいて、誰がどんな大義で、どんな信念で争っているのか、もう、わからなくなっていた。

 「やられたからやり返す」そんなことを繰り返す。

 味方だったはずの者も簡単に分裂していく、誰に対しての味方だったのか、誰に対しての敵だったのかの定義は曖昧だから。

 それでも五年前まで、この国は独裁者によって支配されていた。

 男にとってはそれは「支配」でなく「統治」だった。

 確かに恐怖と暴力による統治ではあったがメリハリがあった。

 月を吊るしたような静かな夜に、爆撃はなかったし、いくつかある国の記念日は必ず休戦だった。

 独裁者の誕生日の前後一週間も静かだった、文字通りの祝日しゅくじつだ。

 祝いに争い似合わない、だから銃を置く。

 あるようでないルールが確かに・・・あった。

 独裁者は、男に休みを与えてくれた、国民に休みを与えた。

 すべての人の共通認識。

 やがて「義勇」という旗に集った多国籍軍が、独裁を終わらせた。

 たがの外れた、獣は蜘蛛の子を散らすように、己の力を誇示しはじめる。

 何にあらがい戦っているのか、わからないままの獣たちが。

 男も、もうわからなくなっていた。

 場所、時間を選ばず、見境なく雨は降りつづける。

 昨日、仲間だった者が明日は敵になる。

 いさましいせいぎの人たちは、とっくに帰ってしまった、魔王を倒したから。

 魔王がいなくなってからの方が、遺体の数が増えた。

 それはまるで自生じせいするように、腐敗臭を放ち、そこかしこに咲き誇っている。

 明確な「敵」が玉座に座ってくれてるだけで、どれだけありがたかったのかと、男は思う。

 独裁者の自己顕示は現場不在証明アリバイになる。

 ほこを向けるべき相手がいればこそ、ひとはまとまるのだ。

 安物の椅子に腰かけた敵はそこかしこに溢れている、それは男にとって敵なのか味方なのかわからない。

 銃を向けるから撃つのか? 撃とうするから銃を向けるのか?

 そんな道理がまかり通るならば、この混戦はとっくに終わっているだろう。

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投稿日:2019年4月9日 更新日: