未完のマリア

 雨は突然、降り出した。

 雨、雨、雨、今日は悲鳴を伴った雨だ。

 この町の上空を、こんな低い高度で戦闘機が飛ぶことはない、何が起こったのか?

 そんなことは知るよしもない、昨日の味方が敵になる、そんなことは日常茶飯事だから。

 この国にまっとうな理論が通じるはずもない。

 道理なんて筋道を通すのことは、すべての砂漠を舗装するよりありえない。

 それは尻から煙を吐き出して、キツネの尻尾のようにしゅるしゅると飛んできた。

 先端がピンと尖がっている何かだ。

 新種のミサイル?

 空を裂く音、ものスゴイ速さ、わずか数秒で男に衝突するだろう。

 どうして、そんな物の前に立ちはだかるのか?

 勝気だから、そんな理由で片づけるのは簡単だった。

 体を大の字にしてマリアはその進行方向のど真ん中にいた。

 どうして? 

 ――お兄ちゃん。

 男はいまさらながら知った、妹であっても兄を守ろうとする行動理念があったことを。

 まさか庇護ひごすべき相手に守られるなんて。

 男がいるこの場所からは、マリアのいるそこまでは、そんなに離れた距離ではない。

 それでもマリアを抱き抱えて地面を転がる場面を想像できない。

 あの飛翔体の速さには、どうあがいても追いつくことはできない。

 

 簡単だったあまりにも。

 男の目の前でまだ、六歳のマリアは砕け散った。

 陶器でできたマネキンのように小さな破片が散らばっていた。

 未熟で未完成な片腕だけが乾いた土の上に転がっている。

 爆弾あめは降っても、土地を湿らせるはめったに降らないこの地に、マリアの片腕以外は何も残ってはいない。

 偶然なのか必然なのか、マリアの片腕は綺麗なままでその形を残している。

 最大限に伸ばした腕と、大きく広げた手のひらで精一杯、男を守ろうとしていた。

 今、この状況でさえも、ミサイルが男に行かないようにしている。

 天を仰ぐ手のひらは、いまもって素手でミサイルを掴もうとしているようだった。

 男は、その手をマリアの望む相手に繫がせなければいけなかったのに。

 できれば幸せというものになってほしかった、でなければマリアの人生は完成しない。

 残酷なんて言葉で済むほど簡単じゃない状況も、この国ではけっしてめずらしいことではない。

 こんなことなら、つぎのマリア・・・・・・を生むためだけのレールに組み込まれてもいい。

 だからマリアには生きて欲しかった。

 その惨劇を見て、散り散りのマリアに生存を望むのは難しい。

 マリアを砕いたミサイルは、フラフラと揺れながら、軌道を変えて、後方の家を木端微塵こっぱみじんにした。

 一緒に死ねればよかった。

 どうして生き残った。

 男だけを残す選択肢を誰が決めた、それがあがめるべき者の意思なのか?

 あいにく、男には崇める対象など持ち合わせてはいない。

 

 祈りの帰結が棄却ききゃくだと言うことを知っているから。

 この国に産まれたときから、それは遺伝子に組み込まれている。

 誰もが諦めることでしか、精神を安定させることができない。

 できない弱者は人工的な楽園にいくしかない。

 みんな極楽を夢想る煙を吸う、天に昇る注射を打つ、こんな地獄は現実として受け入れられないから。

 頭の中が幸せになる薬が必要だ。

 廃墟の町で、そこらじゅうに落ちている乾燥した葉っぱと注射器。

 誰かの死は生活習慣病でしかない。

 マリアは不摂生が祟って命を落としました、ああ、かわいそう。

 そんな会話の一部にしかならない。

 

 マリアの終わりに舞った、土埃と血の臭い。

 マリアの血飛沫が男を染めた……本当に血が繋がったんだ。

 絶望が巣食うこの国で、これはただの通り雨。

 マリアは雨に撃たれた、ただの不運な女の子。

 ここが地獄だってことは、とっくの前にわかっていたことだ。

 それでも男は煙も吸わずに、注射も打たずに世界げんじつを見てきた。

 楽園に行かなかった男は、強者でもある。

最終話へ

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投稿日:2019年4月9日 更新日: